読書メモ

うかつであった。喬太郎に「擬宝珠」という噺があり、てっきり喬太郎自作の新作だと思っていたら、ちゃんと古典落語にあるのだ。都筑道夫『哀愁新宿円舞曲』所収の落語家を主人公とした「小説・大喜利」に「大きな質屋の若旦那が、橋の欄干や寺の屋根の擬宝珠がなめたい、という奇病にかかって、浅草観音の五重の塔てっぺんの擬宝珠をなめるために、大さわぎをするナンセンス落語だ。けれども、いまはめったに、やるひとがいない」と書いている。
池井優『藤山一郎の時代』(新潮社)によれば、昭和6年に発売された「酒は涙か溜息か」は、高橋掬太郎作詞・古賀政男作曲、藤山一郎歌唱で、当時、いずれも無名の者たち。B面を同じ作詞作曲コンビで歌ったのがなんと音楽学校出たての淡谷のり子
これが出た月に売り切れ、暮れには百万枚を突破。いまの百万枚と比較にならない。植民地だった台湾、朝鮮を含め全国で20万台しか蓄音機がない時代。バーやカフェがすりきれるほどレコードをかけ、三枚、四枚と買い替えた。それで百万枚。
桑原甲子雄『私の写真史』(晶文社)に、安田南の名前が出てくる。1973年、新宿紀伊国屋ホール。68/71演劇センター公演、佐藤信演出の「喜劇・阿部定=昭和の欲情」で、ゆかた姿の安田南が、マック・ザ・ナイフのメロディーで阿部定を歌う。桑原はこの歌を「当夜の圧巻」だとおもう。また、桑原は千住の「お化け煙突」を、荒川区尾久で阿部定が吉蔵を殺した待合「満佐喜」から見えたのではないか、と推測している。
日本映画専門チャンネルで、五所平之助「煙突の見える場所」、豊田四郎「如何なる星の下に」と、東京を舞台にした映画をメモを取りながら連日見る。千住の火力発電所の二本にも三本にも一本にも見える四本煙突「お化け煙突」が有名になったのは、この「煙突の見える場所」からであった。