あわただしい一日。まずは午前中に「アカハタ」試写室、なんと「相棒」について視聴して書く。古ツアさんとのやりとりで、どうしても午前中に会わないと、『素描集』がまにあわないことがわかり、あわてて中央線で阿佐ヶ谷まで。ブツを改札で受け取り、またすぐに帰還。再び帰宅し、「サンデー」のゲラに手を入れて送付。『素描集』の、最後の仕事を、ポンコツにむち打って仕上げ、古ツアさんに送付。再び外出。福生駅で、芸術新聞社の社長Iさんと待ち合わせ、西多摩霊園に、高田宏さんの墓参りへ同行する。Iさんは、ずっと高田さんと懇意にされていて、一度墓参りへとおっしゃっていたが、ぼくも高校の3年時の担任T先生が、京大時代に高田さんと親友だったと聞かされていて、高田さんの取材の際、そのことを告げると、奥にいらっしゃった奥様に「おおい、彼、田中の教え子だってさ」と言われたりなんかしたのだった。高田さんが「エナジー対話」を編集されていた時、ぼくは大学生だったが、「一緒に仕事をさせて下さい」と志願する手紙を書いたこともあり、あれやこれやで、高田さんの墓参りと聞いて、駆けつけたのだった。この墓参りは、私小説作家なら、作品化するようなできごとであった。Iさんと、高田さんを偲んで呑みましょう、となって、国立「ニチニチ」に案内するも休み。「小樽酒場」という地下の北海道料理の店で呑み、語り、締めにと御誘いしたのが、先日、高橋「白い扉」英幸さんに教えられて同行した「望月」へ行くも、こちらも休み。
弟と電話で30分ぐらい話す。京都で、弟がオーナーだったフォーク・ロックの音楽バー「ディラン・セカンド」が、18年目にして、力つきて11月末で閉めるという。「ごくろうさんだったなあ」と声をかけ、兄弟で話す。弟は人間的に、ぼくなんかより、遥かに優秀な奴で、周囲の人は、みんな弟のことが好きである。力になってやりたいが、あんまり力になれず、申しわけない気持ちでいっぱいだ。閉店までに、ライブや、いろいろイベントをするようで、関西在住の方は、最後の餞に、ぜひ行ってやって下さい。