一日の半分くらいは、ベッドで寝転んで本を読んでいるのではないか。ほとんど病人である。「古通」連載のイラスト地図、知人からの暑中見舞いの返信を投函するため、ようやく外へ出る。秋の気分である。
山頭火を読んで、丸谷才一「横しぐれ」を再読、か再々読か再再々読。やっぱり山頭火が体に入っていると、読み方が違う。平凡に地方の町医者として生きて死んだ父親の生涯に、たった一度花火のようなエピソードがあった。それが山頭火だったと思いたい。息子の国文学批評の考証が続くあたり、ややうるさく感じられるが、ここがないと、核心に迫れないのだからしょうがない。『山頭火俳句集』を読んでいて、気になった山頭火の放浪旅の経済的事情も、「横しぐれ」で解明されている。小山栄雅の研究書によってだが、俳友にたびたび金の無心を強引にしていたとわかる。別れた妻や置いて来た息子にまで平気で送金を頼んでいる。托鉢で得られるのは、現在で言えば、ほんの数百円ということが多く、どう考えても飲み食いし、酒をくらい、安いとはいえ木賃宿に宿泊することは叶わない。図書館で借りてきた山頭火関連本でいえば、和順高雄文・中里和人写真による『ぬけ道、より道、山頭火』(偕成社)がいい。写真がいいのだ。前の人が借りた際はさんだ貸出し期限票があって、この本以外に、『ヴェネツィア私のシンデレラ物語』、『ホンモノの人生』を借りている。すごい組み合わせの3冊だ。