地下の室温、26℃台まで下がる。こうなると「涼しい」という表現を使ってもよさそうだ。あきらかに、空気がひんやりしている。
このところ、ずっと岩波文庫に収録された『山頭火俳句集』を熱心に読んでいる。「俳句集」と言いつつ、日記や随筆も収められ、研究者じゃなければ、まずこの一冊で山頭火の全貌がつかめる。幼くして母が自殺、弟も若くして自殺、父は事業に失敗し失踪し、死んだ。山頭火はしばしば「神経衰弱」で大学を、会社を辞めているが、無理もない。酒に溺れ、狂態を演じ、周囲に迷惑をかけることもあった。庵を構え、定住の悦びを得ながら、また漂白の旅へ出る。旅がリハビリでもあった。「憂鬱」という語がひんぱんに登場し、「死」を意識した後半生だった。托鉢に出て、どれぐらい喜捨を得られるものか。昭和14年、11月16日、この日は野宿しているが(宿泊を断られることもあった)、34銭と米が6合、同月21日が、13銭米2合。四国はお遍路で、接待の習慣があったが、それでもこれだ。昭和初期、1銭を現在のどれぐらいか、を換算するのは難しいが、50円までいかないと思う。20円ぐらいと見ていいか。地方の物価は安かったようだが、それでも厳しい旅である。友人や身内がときどき郵便局留めで送金していたようだ。「落ちついて死ねさうな草萌ゆる」というような句が生まれた。「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」「野良猫が来て失望していつた」なんて句もある。「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」は山頭火調。いずれも死を目前にした昭和15年の句。「かくあれかしと山頭火が歩いていく」は、いま思い浮かんだ私の句。