あちこちかきまわしていると、いろんなものが出てくる。小さなメモ帳というのが20冊はあり、分散してメモして、けっきょく役に立っていない。いつか、集約したいと思いつつ、そんな日が来るのかどうか。ほとんど使い切ったメモ帳に、2016年7月28日「徹子の部屋」に海援隊が出演した時、明かされたエピソードが書きとめてある。喋るのはほとんど武田鉄矢。売れない時代の貧乏ばなし。3人は人気のない時の方が仲が良かった。小倉智昭の不遇時代(フリーになってからか)、海援隊メンバーの中牟田俊男と同じアパートにいた。小倉に久しぶりに仕事が入り、それが富士山樹海のロケだった。小倉は中牟田にジーパンを借りたという。3人は、富ヶ谷の小料理屋でビールを飲むのが楽しみだった。富ヶ谷は代々木公園の西側に位置する住宅街。「母バラ」の大ヒットで1974年紅白にも出演。絶頂と思えたが、すぐ人気が落ちる。客が減っていくのが、ライブの舞台から見える有様だったという。