サンデーのレギュラー原稿を昨日午後送付。いつも早起きして、午前に書きあげ送るようにしているが、どうもこの日、ほかにやることもあり気乗りせず、ぐずぐず延ばす。いかんなあ。日本映画専門チャンネルで「阿修羅のごとく」part2。何回か見ているはずだが、八千草薫の夫が緒形拳から露口茂に変わっている、ことに驚く。息子、娘もpart1とは配役が違う。娘は若い若い荻野目慶子。そうだったか。妻に先立たれ、国立の一軒家で一人暮らしする父(佐分利信)が、寝たばこでボヤを出し、四姉妹が駆けつけ、とっちめられ禁煙を誓う。お隣りさんで、千石規子が絶妙の存在感で登場。こういう女優、いま、いないなあ。翌朝、佐分利は国立駅のホームで、ベンチに腰掛けている。隣りの男が煙草を吸い出し、自分もと煙草をポケットから出すが、傍らの四角いゴミ箱に捨てる。このとき(1980年放送)、国立駅はまだ地べたを走っていて、煙草がホームで吸えて、無骨なゴミ箱があった。38年も前のことである。高架工事は上下線別々に2003年から随時、仮線を使いながら始められ、2011年に完全きりかえされたようだ。工事のことはうっすらと覚えている。
「朝日」夕刊で、早世の歌人・笹井宏之という存在を知る。「ひとりずつひかりはじめてもうだれも街を流れる星なのでした」というような、斬新な抒情的世界を歌った。うかつにも知らなかった。岡井隆『今はじめる人のための短歌入門』(角川ソフィア文庫)を読んでいたので、「短歌」に目が止まった。そうでなければ、読み過ごすところだった。知ってよかったのである。疑いようのない才能。NHKでかつて、笹井を取り上げたドキュメンタリー番組が作られていたようだ。「あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる」。難病を背負い、28歳で10年前に亡くなった。「夭逝」という意味を考える。書肆侃侃房から三冊の歌集が出ている。