還暦祝いにプレゼントされた末広亭、招待券が今日が期限。あわてて新宿へ。連休中の四月下席、文字通りの満席で(2階席まで)、桟敷へ通される。隣りに、9歳の女の子と母親、背後になんでもかんでも笑う老夫婦が、足を伸ばして座り、ときどき僕の腿に当たる。しかし、たしかに桟敷席の和風座りは窮屈で、たちまち変調をきたす。中入りに退席した人を狙って、椅子席へ移動。なんとか、トリの小満ん「青菜」まで聞く。桂南喬「壺算」に思い入れあり。というのも、上京してすぐ、あこがれの末広亭へ行って、その際のトリが約30年前の南喬で、続けて2、3日聞いたが、大変いい出来で、東京に来て、最初に気に入った東京落語が南喬であった。ぐうぜんにも、その年、新橋のはずれで取材していたら目の前を南喬が通りかかり、「南喬さん!」と声をかけたことがある。それ以来の生の高座を聞いたことになるが、トリへ渡す時間が押していたのか、いろんなことを省略した短縮バージョンの「壺算」であったが、やっぱりこの人はいいや、と堪能する。この日、新作、色物、古典のバランスがよく、客席も大いに沸いていた。ただ、紋之助の「曲ごま」がはしゃぎ過ぎで痛々しい。神楽や曲ごまは、もっとクールにやった方がいいのではないか。小満んは、噺家さんらしい噺家で、しかしときに絶句することがあり老いを感じたが、この日はなんとも江戸の気風を感じさせるいい出来であった。例の刑務所逃亡犯が逮捕されたことを、高座に上がった噺家さんの情報によって知る。新作でハードボイルドのバーの光景を口演した、とくに名を秘すMKが、信じられないつまらなさで、客席が凍り付いていた。スノッブなインテリ相手に、密室でやるにはかまわないが、一般大衆が集う寄席ではどうか。世相講談の趣きありで、客席を沸かす馬風と比べた時、MKの新作があまりに独りよがりであることが分る。紙切りの林家楽一は二楽の代演で、体を動かさず切るタイプ。ぼくの隣りに座った9歳の女の子にリクエストを聞いて錦織圭、もう少し大きいか、やっぱり客席にいた小学生の女の子の「大谷選手」のリクエストにみごと応えて、喝采をさらっていた。
帰り、「ささま」へ寄って、均一を見ていたら、静岡県掛川市から、泊まりで古本屋巡りをしている青年に声をかけられる。私の読者だという。うれしくて握手。少し喋る。「ささま」店頭では、こういうことが起こる。いや、西荻「盛林堂」でも、年輩の読者から声をかけられた。淋しく生きているので、ありがたいことだ。