今週、急ぎの仕事(受け取って翌日締め切りというような)が何本かあり、それはかまわないのだが、待ったなしの連続で頭の芯が疲れた。
植草甚一日記(1970年)に、「考えてはいけない。考えるのはソンだよと自分にいいきかせる」とある。本当、そうだよなあと元気づけられる。スケジュール帳に書きとめておこう。
あれこれと、わだかまる気持ちに背負い投げをくらわせて、国立へ。開催中の「99歳の彫刻家 関頑亭」展(たましん歴史・美術館)を見る。パステル画、書、彫刻と多彩な展示で、いいものを見たという実感に包まれる。会場へ入る前の自分と、出て行った時の自分が変わった気がする。会期中、また何度か見たい。できれば毎日でも。もらったパンフの頑亭先生の写真を切り抜いて、壁に貼っておこう。守り神だ。「ビブリオ」にも寄って、十松くんと長々と雑談。御互いの話に出てくる人物が、みな、どこかでつながっていて驚く。つまり、それだけ十松くんの「顔が広い」ということだ。
昨夜は、西武国分寺線「小川」駅前で、牧野さん、京都から仕事で来ている「四月と十月」同人でギタリストの青木隼人くんと待ち合わせ、のむことに。しばらく小川駅前にいたが、すぐ左に交番、脇を入った暗い場所に駐輪所、目の前に低層の古い商店街があり、バラバラと人が跨線橋から降りてくる。松本清張の小説に出てくる町(昭和40年代の映画のセット)みたいだ。この西側一帯、公団住宅、都職員住宅がひしめきあい、東側には宏大なブリヂストン工場がある。駅は小さいが、乗降者数は多いのだ。駅ビルやチェーンカフェ、スーパー、牛丼屋の類がなく、地方駅の匂いあり。これから殺人に向う男が降りて来るかも知れない。
三人うちそろったところで、牧野さんが開拓した店「百薬の長」を探すが見当たらない。駅前、しばらくウロウロして分らず、スマホで検索してたどり着いたら、店主の都合で休みと貼り紙が。駅に近い飲食店通りには、軒を連ねて居酒屋があるので、そのうちの一軒「かっぱ屋」へ入るが、ここは地元民憩いの店らしく、男たちがほどけて溶け出しそうに飲んでいる。その空気の中でわれわれもくつろいで、めちゃくちゃいい店だった。三人で、松本竣介とか、けっこう高級な話を焼き鳥をつつきながら喋る。勘定がまた、安い。小川はいいぞう。西武国分寺線で飲むなら小川だ。帰り、「鷹の台」近くの「天平」で、少し飲み、牧野邸で沈没。