試写状をときどきもらいながら、なかなか観られなかったが、エドワード・ギラン『さすらいのレコード・コレクター』は行くぞ、と拳を握りしめていた。というのも、いまだ現役のレコード・コレクターを追ったドキュメンタリーだからである。ジョー・バザードは、アメリカ・クリーブランドの自宅地下室に、専用のレコード室を設け、壁はずらりコレクション、コレクション、コレクション。それを古風なターンテーブルに乗せ、一枚いちまいかけてみせるのだが、その鑑賞態度は体を揺らし、葉巻をくわえ、笑い、歌い、「ビューティフル!」と、つまり「ゴキゲン」なわけだ。コレクターにありがちな、しんねりむっつりの対極にある。しかもコレクションは、すべて1920~30年代、SPが市場に乗り始めた頃のブルース、ジャズ、ヒルビリーなどに限定。「ロック? あんなものはクズだ。社会を悪くさせた」みたいなことを言い、現代の音楽は歯牙にもかけない。世はロック、LP、シングルの時代、古いSP盤が投げ売り、捨て売りの半世紀前から、車を走らせ、個人宅へ行き、「古いレコードありませんか」と買付けに回って、今でもそうしている。まさしく「ハンター」だ。ドナルド・キーンドナルド・サザーランドを足して二で割ったような風貌で、じつに、生き生きと、楽しく、充実して日々を送る姿が、知人の証言もあわせ、魅力いっぱいに伝えられ、見終わったあと、「いやあ、あっぱれ!」と爽快な気分になるのだ。古い映像、写真も随所に織り込まれ、2万5000枚のコレクションが光り輝く。ところで、ジョンはSP盤を、盤だけを、特製の紙袋に収蔵し、作り付けの専用仕様の棚に収めて保存している。ジャケットもビニール袋もない、素である。背文字がないのだが、何処にナニがあるかを把握している。それにも驚いた。音楽好き、コレクター、中古レコードマニア必見である。ぼくももう一度見たい。4月21日からシンジュクK's cinemaで公開。
これが新橋「土橋」のTCC試写室。高速の入口を越え、表示のあるドアを押して、がらんとした地下へ降りて行く、不思議な試写室で、「出頭」という言葉が思い浮かぶ。雑誌編集者時代、映画の欄を持っていて(というより、趣味で作った)、ここへはよく来た。前に来たのは「海炭市叙景」試写のときか。出る時、蓮實重彦を見た。
その前、芦花公園世田谷文学館で「ミロコマチコ展」を見る。馬鹿でかいサイズから小ぶりまで、多くは絵本のために描かれたようだが、すごい迫力。アクリル絵具の特性をよく生かし、画面ぎりぎりまで使い、大胆に線を引き、多彩な着色で造形していく。クマ、ゾウ、ヒョウなどの猛獣が、猛々しく、しかも、その目がこれから人間に殺されることを自覚するように哀しい。動物の顔が、なるべく正面を向くように描かれ、ときに、不自然なほど、顔を曲げて、それでも見る我々を見つめている。子どもも楽しめる展覧会である。ミロコマチコ・ノートをお土産に買う。枚方の誇りなり。
さあ、仕事だ。
「世の中はいつも変わっているから頑固者だけが悲しい思いをする 変わらないものを何かにたとえてそのたび崩れちゃそいつのせいにする/世の中はいつも臆病なネコだから たわいのない嘘をいつもついている」と歌った中島みゆきはすごいと思う(「世情」)。