体が裏返るような咳が夜中止まらず、昨日、病院へ。いつも検診している内科が休みで、ネット検索し、国立の病院を見つける。最初電話した個人医院(耳鼻咽喉科)の応対が最悪で、病状と、初診で、今日診察してもらいたいということを伝えているのに、「ヒヒヒ」と笑い声が聞こえ話にならず、「誰か、話のわかる人に代わってもらえませんか」と言うと、話者がその院長(女性)であった。あげくに「今日は予約がいっぱいで診察できない」と言う。それを最初に言ってくれ。2軒目で「それは耳鼻咽喉科ではなく内科ですね」と教えられ、ようやく診察、投薬にたどり着く。小さい病院で、それでも受付から一時間は待ったか。当り前だが、病人、老人(杖、うまく歩けない)が多く、空気は淀み、なんだか、そこにいるだけで病気になりそうだ。で、いくつか薬を処方してもらい、胸にシールみたいな薬を貼り、一発でひどい咳は止んだ。早く病院にかかるべきだ。
待合室で読んでいた吉田秀和『響きと鏡』には、音楽ほか、社会世相、相撲など、さまざまな話題が取り上げられているが、約30年前、新幹線に禁煙車両がなく、苦労した話が書かれている。「こだま」にようやく一車両。「ひかり」にもできた、と聞いて乗ったが、なくて、次に窓口に行った時、その旨伝えるが、国鉄職員は「あーそうですか。私たちは新幹線なんて乗ったことないから………」なんて、のらくら言う。いまならありえない対応だが、かつて国鉄は、客を客と思わぬ、横柄な態度を取っていた。手間取る客を怒鳴りつける(後、つかえてんだから、もたもたするな!)ぐらいのことは平気でやった。
30年たてば世の中変わる。嫌煙権なんてない時代、「吸わない人のことは考えない」と書かれてあるが、いまや「吸う人のことは考えない」となった。
今年の年賀状だが、自分が出した年賀状に、自分の名前が書かれていなかったことを、ある人の返信で知る。最初、住所印(名前の入った)を押すつもりが、そうか版面に書いてしまえばいいと思い、住所を書き込んだが、名前を書き忘れた。まあ、ぼくのことを知る人なら、ああこれはおかざきさんだとわかるだろうが、会ったこともない人もいて、「ええ? 誰れ、これ?」と思った人もあるだろう。申しわけない。