昨日、肌を焼くような夏の陽射しのなか、吉祥寺「夏葉社」へ。途中「藤井書店」に立ち寄り、文庫二冊(ちくまや講談社文芸とか、めちゃくちゃ安い)、1966年武蔵野市役所刊非売品の、これはなんと言ったらいいか、市の現状と発展を数字と写真で伝える大判「むさしの」を買う。「夏葉社」は14名のお客さんを迎え、ナンダロウくんとトーク。広島と米子でも二人でトークをしていることを、言われて思い出した。しかし、久しぶり。ライター生活について、細かく、二人で喋る。ふだん話さないことを話し、大変新鮮な思いがした。会ったばかりの頃、高円寺の酒場で、ぼくがナンダロウくんに「挫折を知らないでしょう」と言ったらしい。忘れている。失礼な話だが、たぶん、ぼくの中で、そのときのナンダロウくんは、現役で早稲田の一文へ行き、明大の大学院で修士を収め、「本のコンピュータ」の副編を務めるなど、業界のエリートに見えたのだと思う。挫折だらけの自分に比べ、それがまぶしく見えたのだ。イベント、トークの旅ぐらしの経済的苦難についても話すが、一箱で、クラウド・ファンティングで出資者を募り、そのお金で方々の一箱に出ている人がいたという。知恵者は金を作る。ナンダロウくん、秋はイベント、取材続きで忙しそう。よかった。
場所を貸してくれた夏葉社島田くんの都合もあり、3時半きっかりにトークを終え、片付け、出席したお客さんと語らい、有志で「戎ビヤガーデン」へ。駅前のビルの地下にあり、ぼくは吉祥寺で飲むときはいつもここ。焼き鳥、唐揚げなどトリ料理がうまく、安い。業界ひっぱりだこの校正の売れっ子「みずたま」さんから、いろいろ苦労話など聞く。これも新鮮、であった。引用部は本体のコピーを取っておくと助かると、校正者側からの要望も、そうだなあと納得する。引用部をすべて図書館などをかけずり回り、つけ合わせをするというのは、大変な手間だ。
ひよっこ」、最終コーナーを回り、妙に話の展開がゆっくりになってきた。みね子の父の記憶も戻らないまま終るかもしれないと、今は思っている。それでもいいんだ、ということなら、ドラマ史上における画期、である。記憶喪失という設定は、記憶が戻る(感動)を前提にしているから。
柚月裕子『盤上の向日葵』読了。将棋界版の「砂の器」という感じだが、読ませる。