昨日、思い立って炎天下、荻窪下車。高級住宅街をくぐり抜け、「すぎなみ詩歌館」へ。ここは故・角川源義旧邸。つまり角川春樹もここで育ったことになる。受付も係員もいない、入館無料の開放的な施設。広い芝生の庭をひとめぐり、いくつかチェックし館を後にする。そこから近い大田黒公園も散策。驚くべき広い敷地が、個人のものだとは、にわかに信じがたい。来園者はぼくのほか一人。「ささま」へ当然ながら寄り、均一で一冊、店内でサエキけんぞう『さよなら! セブンティーズ』クリタ舎を買う。これが読み始めたら、まったく止められない、1958年生まれの早熟なロック少年のクロニクルで、付箋を貼り始めたら、びっしり貼りつくすことになってしまった。いやあ、驚いた。中学生の頃から、メモリアルになる重要な各種コンサートに出没、ロック喫茶へも出入りし始める。5、6歳分は先に進んでいる。もったいないから、あれこれ紹介しないが(現物に当る方がいい)、一点だけ。渋谷百軒店の「ギャルソン」は、はちみつぱいのメンバーが来る店として、サエキ少年も訪ねて行く。そこへ、スチィール・ギターの駒沢裕城が来て、話しかけた。今日は何のライブだったのかと聞くと、拓郎のリハーサルだという。「え? 拓郎をやってるんですか?」「そうだよ」「ちょっとイメージが違うなあ」「なんだよ、イメージって」となり、駒沢は生意気な中学生に「あのねえ、拓郎ってとっても深いんだよ」と説教を始めたというのだ。70年代初頭、ギンギンのロックを聴いてる連中からすると、「拓郎? ケッ」という雰囲気であったが、駒沢は、拓郎の音楽の独自性を「極めて論理的に、丁寧に説明してくれた」という。駒沢さん、ありがとうございます。
夜は西荻ブックマーク99回へ。『狂うひと』が講談社ノンフィクション賞を受賞したばかりの梯久美子さん、聞き手に角田光代さんという豪華ブッキングによるトーク。後半は「海辺の生と死」監督の越川道夫さんが加わる。会場は底が抜けようかという満席であった。100名近く入ったか。編集者など、出版業界の人も詰めかけた。ぼくは隣りにいた北條くんと、あれこれ、久しぶりに話す。打ち上げにも出させてもらうつもりでいたが、炎天下の荻窪放浪に疲れ、帰宅。