昨日「新潮講座」第二期、読書会の三回目、漱石三四郎』を無事終える。ほっとした。最初に、これを読む上での前提と、取り上げるテーマの設定をして、参加者のみなさんから意見を聞くというスタイル。生徒は老若男女というバランスのいい構成で、大学生もいた。みな、反応がよく、自分に引きつけて意見を言うなど、こちらも刺激になった。ただ、準備がかかり過ぎるのが難点で、費やした膨大な時間を考えると、これはちょっと続けられない。しかし、やってよかった。顔の見える距離での、やりとりが楽しかった。お礼の意味を込め、講座が終わってから有志(ほぼ全員が参加+一名)で本郷「漱石」さんぽをする。漱石の「猫」の家跡碑を見て記念撮影し、東大赤門から三四郎池(ここでしばらく休憩、池は淀んでカメがたくさんいた)、構内のカフェ(女性一人できりもりしているため、注文してから出てくるまでが気が遠くなるほど遅い)でお茶して、「かねやす」「本郷教会」を見て文学散歩を終了。大学堂で古本を見てもらい、近くの居酒屋で総員9名で打ち上げ。ここでもいろんな話が出て、噛みどころ満載であったが、とにかく疲労がピークだったので、自重していたら、最後の最後に、瓶ビールが好きでビール会社に就職が決まった大学四年のハンサムな男子が「ぼく、拓郎が好きです」と発言、のけぞって反応したら、北茨城からいつも参加してくださっているぼくと同年輩の女性が「私は篠島へ行きました」なんて言うから、またのけぞる。危なかった。その話題が最初に出ていたら、拓郎について喋りっぱなしで、最後はギターなしで10曲ぐらい歌うところだった。自重、自重。なんでも男子大学生、カラオケに仲間と行って、拓郎を歌っても周囲から「なに、それ?」みたいな顔されるそうだ。「元気です。」の「りんご」と、「今はまだ人生を語らず」の「人生を語らず」が好き、というので、「おお!」と思う。篠島へ行ったという女性は「島の民宿に泊まりました」とのこと。拓郎情報、なんでもうれしいぞ。
この日の「読書会」で、ぼくはちょっと単純化して(話の進め方として)、美穪子を悪者扱いしたが、生徒の一人(女性)が、「明治で『個』を生きる女性として、美穪子は淋しかったんじゃないか」みたいなことを言って、思わずうなる。「ストレイシープ(迷子)」は、美穪子の事かも知れない。しかし、もうこの先、しばらく『三四郎』は読みたくない。
東大構内(めちゃくちゃ広い。どれぐらい広いかと言うと、東京大学が一つ入るぐらい)は、近隣住民の憩いの場であり、家族づれなどたくさんの人が自由に散策していた。それはとてもいい感じであった。自動販売機がない、というのも景観の点で逆にいい。三四郎池は、都心に渓谷美を作り、静かでとてもいい。
今日は「みちくさ市」で牧野さんの話を聞こうと思っていたが、あまりに仕事が溜り、今日は家にいます。