盛林堂にて、25日(日)銀盛会館にての『合算地図』イベントの打ち合わせ、チラシをA4に拡大コピーしたのに色を付ける。映画「砂の器」パロディのつもりで描いたイラスト、本来「亀嵩(かめだけ)」なのに「亀田」になっていることに気づく。凡ミスなり。「亀嵩」が、出雲の方言が一部東北弁と似ているため、「かめだ」と発音されるところから、事件の解決に近づく大きなポイントなのに。http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/音羽館」にもチラシを置いてもらっております。短期間のみ、入手可能なチラシなので、ぜひもらってやって下さい。トークイベントに来てもらえると、もっとうれしい。
盛林堂書房新刊、佐川ちか詩集『前奏曲』を寄贈される。昭和初年の作ながら、モダニズムの技法で、語法やイメージが「現代詩」であることに驚く。佐川ちかの作品はいまや入手困難で、「読めない」と言ったのだが、小野くんには、「読解できない」と伝わったようで、会話における言葉は難しい。「あ、いま違う意味で伝わったな」と思うことはよくある。毎日のようにあるといっても過言ではない。小野くんのせいではなく(だから、こう書いたと言って、小野くんが気にする必要ははまったくない)、互いの言語環境も違うし、会話における言葉が、多義的で、あいまいになりやすいということだ。そういう意味で言えば、佐川ちかは、平成(もうすぐ変わる)でも、まったく「読める」詩だ。
本当に久々に「ちくま」から、仕事依頼あり。ちくま文庫に、永六輔坂本九評伝(中公文庫に収録)が入ることになり、紹介文を書く事になった。武田鉄矢「昭和が輝いていた」3時間スペシャルを録画しておいたのを、酒を飲みながら(CMはすっとばして)見る。進行の武田鉄矢、けっしてキライではないが、自説の主張がウザイし、うるさいぞ。アシスタントの女子アナは、本当に何にも知らないし、二人して永六輔の著作を読んでいないのは明らかだ。まったく、もう。武田が開陳した「上を向いて歩こう」にまつわる小学生時代のエピソードは限りなく嘘くさい。南こうせつ(われわれフォークの源流は永六輔にあり、影響されたとヨイショした)と武田鉄矢の、この手の思い出話は、捏造された可能性が高く、うかつに信じられない。
電車で眠ってしまい、4、5時間経過し、山形あたりの知らない、とんでもない駅で目が覚め、途方に暮れる夢を見る。なぜか京都、大阪方面まで帰らないといけないという意識が働き(本当なら東京だが)、二面しかないホームで、上りも下りもわからぬまま、来た電車(木造の古い客車)に飛び乗る。ひと駅で「日本大学前」に着くがここが終点。大学誘致で地方の駅前に都市開発された、馬鹿でかい都市だが、ここからどういうルートで帰ればいいか。こういう鉄道もので、途方に暮れる夢をよく見る。何でだろう。鉄道は、乗るのは楽しいが、ストレスにもなっている(決められたある時間まで間に合わないといけない)。どこかへ行きたいという願望も入っている。たいがいは窮地に立つ夢だが、鉄道の夢を見るのはキライではない。