午前中、FMNHK「ゴンチチの世界の快適音楽」を聞きながら、玉川上水を休み休みしながら一時間半ほどサンポした以外は今日はいちにち家にいた。新しく始まった仕事もあり(書き下ろし)、単行本のゲラも抱え、あれやこれや、すぐにはお金にならない仕事を、あんまりのんびりはしていられない、こなしていく必要があるのだ。
「潮」から書評依頼(今年は珍しく三度目ではないか、二度目か。たいてい年に一度)があった四方田犬彦『漫画のすごい思想』を、がんがん読む。「ガロ」「COM」に1968年から70年代初頭ぐらいに、一気に出てきた、先鋭的な漫画家たちの仕事を位置づける評論。ぼくは漫画については早熟で、小学校五年ぐらいから「COM」を読んでいた。だから、四方田が取り上げる作家たちの仕事を、ぼくもまた読んでいた。岡田史子宮谷一彦など、懐かしい。
先日、あまりに間が空き過ぎ(「湯を沸かすほどの熱い愛」「永い言い訳」は見逃す)の「ギンレイ」のプログラム最終日に「アイ・イン・ザ・スカイ」「ヒトラーの忘れもの」を続けて見るが、後者は40分たったぐらいで、途中で出てしまった。映画の出来がどうこう、というのではなく、ナチスドイツ占領から開放されたデンマークで、ドイツ軍が埋めた無数の地雷を、ドイツの少年兵たちに掘り出させるという映画だ。実話らしい。砂から地雷を掘り出し、王環みたいなネジを回し、信管を抜くという作業だが、危険きわまりなく、ときに爆発し、腕がちぎれたりする。その爆発音のたび、身体が反応し、「うわああ!」と声が出そうになる(そのうち尿ももれるだろう)。ぼくはひどく臆病なのだ。心臓に悪い。とても耐えられず、外へ出た。見る必要のない映画だった。
24日から予定されていた「愚行録」は、中止の貼り紙があった(「沈黙 サイレンス」と併映)。小出恵介が出演しているからだ。いや、何もそこまで、と思うが、そうなのか。
小沼丹『小さな手袋』(小沢書店)を、またちびりちびり、寝床で読んでいる。函入りの瀟酒な装釘で、またどうせ、翌日、本体を取り出すのだから、取り出したままでいいじゃないか、と思うが、やっぱりいちいち函に収めて、枕元に積む。この函から出すところからが「読書」だと思っているからだ。
某社から、電子書籍化された自著単行本の売上げ通知があったが、この一年で、一冊だけ売れ、取り分二百円以下が振り込まれるようだ。