昨日も晴天。昼少し前外出。西荻「盛林堂」「音羽館」へ寄って、それぞれ買う。長い事、店内柱を使って展示販売してくれていた「岡崎武志原画展」は一月いっぱいで終了。10枚くらいは売れたのか。もっと少ないか。いずれにせよ、買って下さったお客さん、手間ひまかけて展示、販売してくれた盛林堂さんに感謝だ。あまりにいい天気なので荻窪「ささま」へも寄る。昭和30〜40年代の東京、23区別写真集というのがあって、『江東区』を同店で見つけ買う。840円。鈴木慶一『火の玉ボーイとコモンマン』もめったに見ない、525円。これを「サン毎」へ向かう電車内で読むと、父上と対談しており、その父・鈴木昭生が、けっこう活躍していた声優・新劇俳優だと知る。脇ではあるが、NHK大河にも多数出演している。鈴木家は東京都の南東のはじ「羽田」にあったが、その地誌の記憶を父子で喋っている。弟の博文とは、アマチュアからの音楽話。ここにあがた森魚斉藤哲夫の名がひんぱんに出てくる。あがたは明大の二部学生(坂崎幸之助の先輩なり)で、なんと鈴木の母親と同じ会社で、昼間働いていた。そんなことから、二人は知り合う。1970年という年が重要だったことが、日本のフォーク・ロックシーンにおいて、そうだとわかる。斎藤は大森の大衆食堂のせがれ。鈴木とはわりあい近いところにいた。そこからいろいろなことが考えられる。大森は、西側丘陵地は文士が多数住んでいた高級住宅街、東、海側の大森海岸駅付近は競馬場と競艇場が近い荒れた町。斎藤の実家の食堂はどのあたりにあったか。斎藤のことを、なぜこれだけこだわるかは、近日中に発表できると思います。