okatake2016-08-23

我孫子から戻り、少し志賀直哉を読み返す。「十一月三日午後の事」「流行感冒」「雪の日」「好人物の夫婦」など。いずれも我孫子周辺の土地の風景が出てくる。先日、旧居が、ずいぶん狭いと書いたが、あれは離れの書斎であって、広い母屋があったのだ。ここに訂正しておく。志賀はめまぐるしく転居をくり返した作家で、我孫子に滞在したのは、1915年9月から1923年3月の7年6カ月。代表作「和解」、そして畢生の長編「暗夜行路」を書き出したのも我孫子であった。我孫子の前は赤城、後は京都。「十一月」は柴崎へ鴨を買いに行く話で、成田線の踏切、常磐線の踏切、東源寺、柴崎、利根の堤防と、いまも現存する(踏切はない)場所が出てきて、主人公の歩いた跡がたどれる。正確ではないが、4キロはある道程であろう。我孫子の地図を脇において、この小品を読むのは楽しかった。志賀をいちばんよく読んだのは卒論準備中の京都で、ずいぶん前だ。このとき「十一月」は、地誌的なことはまったく意識せず読んでいた。鴨を買いに行く発端は、「根戸」にいる従弟が訪ねてきたからで、この「根戸」は我孫子市の西端、北柏に近いところに位置する、と地図でわかる。その隣町「船戸」に武者小路がいた。
私が今回読んだのは新潮文庫小僧の神様・城の崎にて』で、注がついていない。ただし、これは昭和52年刊の古い版で、改版された時、注がついたであろうか。昭和52年10月30日と購入の日付が自分の字で書かれてある。この頃は大きな、堂々とした、勢いのある字を書いていた。いまはこの5分の1くらい。