朝、玉川上水さんぽ。いつもなら、土曜だから、FMNHKのゴンチチを聞きながら、というところだが、この日は別のプログラム。ゲストを招いて、ほぼ2時間、ナイジェリアのアーチストで黒人活動家のフェラ・クティ特集。アフロビートの創始者、というのだが、ぼくは知らなかった。音楽とともに、その人生を早わかりという2時間であった。晶文社から評伝が出ておるのね。蝉の死骸を、いくつか路上に見る。
丑の日、というのを、とくに意識しないが、今日はたまたま昼も夜のうなぎ(安いの)、であった。午後、読みかけの朝丘ルリ子『私は女優』をカバンに入れて国立へ。「ブ」で、ギターのバーニイ・ケッセル「イージイ・ライク」を買う。バド・シャンクがフルートとアルトで参加。ジャズの未所持のCDを買うのは、ちょっとしたぜいたくであり、楽しみ。一回だけ聞いて埋もれるケースが多いが。このところ、「ブ」からは、「くうねる」のバックナンバーが払底。どうなっているのか、と不審のリニューアルしたことで、バックナンバーに人気が集まっているらしい。ぼくは、「くうねる」封筒を使う素材として、けっこう108円で買ったものだが、いまは、ほとんど見ないのなり。
日本映画専門チャンネルでずっと再放送していた倉本聰ライスカレー」を、とうとう最終回まで、もう何度目か、見る。12回で、死んだBJ(中井貴一)のお骨を引取りに、日本から姉の檀ふみがカナダのラックル・ジューンへやって来る。不思議なことだが、実際には血縁の関係ない中井貴一檀ふみが、姉と弟というのが、非常に自然に感じられる。おそらく、檀ふみの父が檀一雄中井貴一の父が佐田啓二と、ジャンルは違えど、著名な父の二世であるという共通点が、頭にあるからだと思う。遺骨を抱いて、グレイハウンドバスに乗り込む檀ふみが、車中の幼い子の笑顔を見て、泣くシーンはちょっと神がかったできばえ。
夏らしい夕暮れ。暮れなずむ頃、昭和記念公園の花火の爆発する音が、遠く、近く空気を鳴らして響いてくる。
関川夏央『人間晩年図鑑』を読んでいたら、1972年「あさま山荘事件」で、待機する警察官や自衛官が、カップヌードルを現場で食べる。そのシーンが、茶の間に流れて、前年発売された時、2億ぐらいの売上げだった「カップヌードル」が、60数億に売上げが伸びたというのを読んで、そうか、あれはすごい宣伝になったのか、と思うカップヌードルは、1971年当時の希望小売価格が100円。公務員初任給の推移から換算すると、どうだろう、現在の400円から500円ぐらいの価格設定であり、高かった。いまみたいにチェーン店化して、安くなる前のラーメン屋で、普通にラーメンを食べるのよりは、少し安いという感じではなかったか。