8・11京都での善行堂還暦イベントを、二部制にすることになった。そのため、一部から二部に流れた人がいて、以下の善行堂ブログのようになりました。まだ当日まで日がありますので、どうぞ。
「8月11日岡崎武志山本善行トークイベントですが、
2部制にしたことで、1部も2部も余裕ができました。
まだまだ入れるようになったので、どんどん参加してください。
1部は、4時〜6時
2部は、6時半〜8時半
場所は、木屋町のディランセカンド。
ワンドリンク付きで2000円です。
予約は善行堂に。」
寝床で『言論は日本を動かす』第10巻「風俗を変革する」に野原一夫「花森安治」が含まれていて、それを読んだついでに常磐新平「植草甚一」を読み返してみたが、これは変な文章だった。つまり、前半、ほぼ植草甚一批判、というべき内容になっている。いくつかの私怨が重なり、また植草がちゃんと本を読まずに紹介し、しばしば誤ったことも書いていたことをあげつらっている。「信用しなくなった」「何が散歩と雑学だ、と軽蔑したこともあった。このインチキめ! 老人なら老人らしくしろ!」などという文章もある。本をちゃんと読まずに紹介する、あるいはジャズについての文章が、ネタ本の翻訳に近かったというような指摘は当っている部分、あるかもしれない。しかし、この本は、くわしく知らない人に、その人物の生涯と功績を、コンパクトに紹介するために作られたもので、常盤の書きっぷりはちょっとフェアじゃないなと思えた(そんなにイヤなら依頼を断る手もある)。後半、あわてて評価する文章にシフトするが、ときすでに遅し。濁った印象は消えないのだ。
辺見じゅん男たちの大和』上巻の三分の二ぐらいまで読む。よくこれだけ、緻密に調べ尽くしたなあ、と感嘆する。