本日、誠文堂新光社の単行本取材(たくさんの人が登場する)、顔見知りのOさん始め、編集者、カメラマンなど一行4人が来宅。地下の書斎を、片付けたかったが、間に合わず、惨状を晒すこととなる。なんでも、宝物を通して、これまでの人生、生き方を語るという趣旨らしく、ベラベラ喋ってしまった。といっても、偉そうな話は出るわけもなく、恥をさらすという感じになってしまうのは仕方ない。Oさんは、牧野伊三夫さんを通じて知り合った。またもや、牧野コンツェルンの影響下で、仕事をさせてもらうかっこうとなった。
「サンデー」の夏の読書特集で選んだ本が10数冊、そして三省堂古本市の売残り5箱が届く(2回補充したから、3箱分90冊近くが売れたか)。本の話をしながら、その際中に、どしどし本が届く事態に。昨夜、録画したN饗、尾高忠明指揮による、武満「波の盆」と、小曽根・コリアによるモーツァルトをまた聞いてしまう。ユーチューブで、倉本聰脚本「波の盆」の5分の1が視聴可能で、このまま全部見られると思ったら、5分の2からは、音声にミュートがかかっている。石田えりが溌剌として、魅力的。
岩波文庫に入った『自選 大岡信詩集』をベッドで読む。巻末の年譜を見て、ぼくが大岡信に著者インタビューで会ったのが、2002年に集英社から『旅みやげ にしひがし』を出した時だとわかる。雑誌「旅」の仕事。よくぞ、詩集の著者インタンビューをさせてもらったものだ。会えてよかった仕事の一つ。ちょうど、長らく住まれた深大寺から、飯田橋のマンションに移る準備をされている頃で、そうなると、お目にかかったのは2003年かも知れない。いまは故郷の静岡県で暮らしておられるようだ。当年とって84歳、という高齢に胸をつかれる。「考える人」の特集が谷川俊太郎。角川文庫の大岡信編(だと思う)解説の『谷川俊太郎詩集』が、ぼくの詩の入口だった。
大岡信の詩業に敬意を表し、短い「夏のうた」を引用しておく。「爬虫類こそ力づよい生命の形/一瞬たりとも直線に同調しない/讃へよ 海から来て地を縫い合わせ/再び波に帰つてゆく栄えある種族を」。一種の俳味と、シュールレアリスムの結合をここに見る。