6月11日 牧野映像美術館・出版祝賀会にゲスト参加。小倉行きが迫ってきた。
鎌倉トークのとき、夏葉社・島田くんから聞いたのだが、わが故郷の枚方市駅前に、CCC運営の「tーsite」という、ツタヤを中心とした複合商業施設が出来た。もと近鉄百貨店の跡地。もっといえば、最初は「丸物百貨店」であった。そこでいろいろ検索すると、枚方愛が芽生えてきて、止らなくなった。「毎日」東京本社にいる、枚方第2小学校の同級生Mに連絡を取り、「枚方について語ろう」ということになる。Mが住んでいた駅前すぐの団地は1956年竣工で、いまも建っている。そこからすぐ、京都へつながる「京街道」という古い街道があり、江戸時代みたいな民家商家が、われわれが小学生のころは残っていて、そのうちの一軒に同級生の女の子が住んでいた。家の前に、折畳みの木の長椅子があり、おそらくそこで旅人が休んだのであろう。グーグルマップのストリートビューで追いかけると、そのうち、一軒だけが残っていた。無性に枚方を歩きたくなる。鍵屋資料館というのも出来ているみたいで、ずっと枚方公園あたりまで、歩きたい。枚方大橋の北詰に、枚方警察署があったが、たぶんもう建て替わっているが、当時、昭和12年竣工のモダン建築であった。禁野本町、天の川の近くに1970年「イズミヤ」が出来たときは大騒ぎで、祭のようににぎわった。オープン3日で1億売り上げたそうである。現在の5億、という感じか。道路をはさんで目の前にボーリング場があった。
樟葉は芦原の湿地帯で、駅は殺風景な寒駅で、河川敷ゴルフ場へ行く人のみ降りるような駅であった。ここが巨大な住宅地として造成が始まるのが1967年のこと。通っていた中学の同級生に「木南(きなみ)」という姓が何人かいたが、みな樟葉の住民。いま駅名だと「樟葉」と出るが、地名は「楠葉」と書いたような気がするが、その「楠」を分解すると「木南」になる。枚方市の人口は、ぼくが中学へ通う頃は20万人代で、高校を卒業する頃、30万都市となる。平成10年に40万人に達するが、以後、微増減で、いまも人口はあまり変わらないまま。
「写真で見るひらかた今昔」というサイトで、「中宮映画劇場」を発見(昭和18年ころの建物らしい)。都丘町にあった。ここ、行ってる。百恵・友和映画3本だてを観に行ったら、客がぼく一人だった。「にいちゃん、かまへんから、ゆっくり観ていって」とモギリのおばちゃんに言われたが、落ち着かなかったなあ。
ううむ、ううむとうなりながら、あれこれチェック。