昨日はそのつもりで準備していたのに、出遅れて、「ギンレイ」の残りの一本「キングスマン」最終日を見損なう。午前中、仕上げたコラム、電車のなかで、ふと前回書いたのとネタというかテーマがかぶることに気づく。あれはダメだな、書き直さなきゃと思う。神保町で「城南展」、ニッポン放送が出していた「ビバ・ヤング」という聴取者向け小冊子を買う。こういうのは、いいなあ。1970年初頭の神保町、新宿、吉祥寺かいわいの絵地図が。シルヴァンさんの出品だ。帳場でも、シルヴァンさんはいつも元気。顧客にも必ず声をかけている。
「コミガレ」をコミガレていると、声をかけられ、見ると中央公論新社のFくん。どうもどうもと「ぶらじる」へ。お茶しながら、あれこれ情報交換と、某書文庫化の話。Fくん、逢うたびに部署が変わっている気がするが、名刺を見ると出世なり。というわけで、思わぬ流れになったが、三省堂2階の喫茶で、別の打ち合わせ。これは本決まりに。いよいよ始動する。
こう書くと景気いいみたいに思われるかも知れないが、やっぱり連載がもう少しないと、フリーの内情は厳しい。しかし、「何かやりたいことは?」と聞かれると困るんだなあ。「上京する文學」は、これからもテーマとして継続したいし、著者インタビューという以外のインタビューものにも色気がある。
本間健彦高田渡と父・豊の「生活の柄」』社会評論社がおもしろい。以前に出た版の増補改訂版で、前にも読んでいるが、忘れていることもあり、初めて読むみたいにおもしろい。高田渡は豊の子だなあ、と実感するのである。
昨日、デジタル教科書を2020年から、小中高で実施し、最初は紙の教科書との併用だが、いずれデジタルだけにする流れとなるようだというニュースを見る。教科書は、本をまったく読まない人の一生で、唯一、紙の本に触る可能性だったが、これも消える。それが案外早く来そう。デジタル教科書になったら、いろいろな可能性は広がるが、これを使いこなして、授業準備する教師の負担は大変なことになる。気の毒である。