この数日、6月の小倉での牧野伊佐夫さんのイベントに出る、その航空券チケットのネット予約のため、悪戦苦闘する。数年に一度、飛行機に乗るか乗らないかという生活をしているので、毎回、慣れない手続きで、大いに疲労するのだ。今回も何度やりなおしただろう。函館に呼ばれたとき、函館空港ではなく新千歳で予約するという失敗を犯し、懲りているのに、今回もああでもないこうでもないと汗が出る。航空会社の窓口へも4回は電話して照会を取った(窓口係はとても親切)。
こうして小倉行きが確定した。一泊ホテルつき往復航空券代が3万とちょっとだから、安い。しかしヘトヘトに疲れた。出張など慣れている人からみたら、非常にこっけいなことだと思うが、事実、こっけいであった。最後の方は、すっかり慣れて、ものの数分で予約できた。
数日前、吉田健一訳『ブライヅヘッド』の一文を引いたが、当該カ所を小野寺健訳(講談社世界文学全集版)ではこうなっている。
「大気にはありとあらゆる夏の匂いがたちこめていた時だった」
吉田は「たちこめていた」というところを「重くなっている」というふうに訳していた。それに感動したのだ。格調では吉田、簡明で読みやすいのは小野寺か。