四月の一連の出版に関するイベントラッシュが終わり、やや放心にあった。トークで、あんまりベラベラ喋るので、人前で喋るのが好きみたいに思われているかもしれないが、じつはそうでもないのだ。喋らなくていいのなら、喋れない方が楽は楽だ。しかし、そうはいかなくなってきて、喋るのが自己防衛みたいな感じにもなっている。喋ることは自己表出でもあり、隠れ蓑でもある。もちろん、読者を増やしたいというスケベ心もあるのだ。
すでに五月も、三つ、すでにイベントが決っていて、 これが四つになる可能性が大である。
『ここが私の東京』は、連載が9回で終わったが、それが本になってうれしいが、続いていれば取り上げる人物の腹案としてあったのは、洲之内徹花森安治田中小実昌山之口貘横尾忠則吉田拓郎などであった。いつか、書くチャンスがあるだろうか。
今日は、三鷹上々堂」へ補充精算、「水中書店」へも寄る。あいかわらず均一が充実。店内で、拙著『雑談王』晶文社を買う。ちょっと探している分野の本があって、「ささま」へも。丸谷才一をちゃんと店内で、集めて値段をつけているのに感心する。均一で数冊、店内で寺田博『文芸誌編集実記』河出書房新社を。坂本一亀退任のあと、「文藝」編集長になったのが竹田博。留任した編集部員に寺田博がいたわけだから、まことにややこしい。「文藝」はリニューアルし、「文芸」となるが、寺田は「文藝」という名にこだわりがあったようだ。「文芸」となった二月号に、石原慎太郎「行為と死」三百枚が一挙掲載され、発売後すぐ売り切れ、緊急増刷をしたという。これが1964年。石原慎太郎はそういう存在だったわけだ。