暖かい土曜日。西部の古書展を経て、盛林堂と上々堂に補充。上々堂の「岡崎棚」をひさしぶりに、手を入れ整理。一部値下げをする。自宅の蔵書も、これぐらいなら管理しやすいのだが。古書展に「東京人」が100円で大量に出ていて、未所持「特集 東京くぼみ町コレクション」(1991・3)を買う。「くぼみ町」という視点は、知らなかった。表紙に「十条 司修」とあって、「ああ」と思う。これは「ここが私の東京」へ補筆できそう。種村季弘松山巖対談、川本三郎による野口冨士男インタビューなど、読みどころ多し。松山、川本がこのときまだ40代半ば、種村が50代後半で今のぼくより若い。裏表紙広告がパナソニックの、業務用と家庭用ファクス。値段は書かれていないが、1991年春、ぼくはまだファクスを所持していなかった。買ったのはいつだろう。まだ恐ろしく高かった記憶がある。
ネイティブ・アメリカン研究の一貫として「リオ・グランデ」「赤い河」「折れた矢」などを見る。「赤い河」は最近、BSで放映されたのを録画、視聴。やはり「インディアン」ではなく「先住民」と字幕が出ている。アメリカの地図を傍らに置いて見ているので、土地鑑が出来て来た。
何かの欠落を埋めるためか、中古CDを一日に5枚も買ってしまう。クレモンティーヌが日本のアニメ曲をフランス語で歌ったもの(「天才バカボン」など)他、渡辺香津美「おやつ」、「バラーズ・オブ・コルトレーン」、「ハイファイセット・シングス・ユーミン」、「CSN&Yベスト」。欠落が埋まるわけではないのだが。唾や食べ物が気管に入り、むせることが増えてきた。食道と気管の関係、どうなっているのか。老いであることは疑いなく、正月の餅も気をつけなければならない。こうして死ぬこともあるかしら、と、つばでむせる谷川俊太郎の詩を思い出す。
匿名で書いている某コラム欄に、出版社宛ての読者カードで、お褒めの言葉を頂いたのが回送されてきた。ほぼ絶讃、に近く、ありがたく思う。ずっと自信を持てずに、ここまで来たので、救われた思いだ。文章を巧み、高め、磨くことでしか生きる道はない。ときどき怠けてしまうけど。