今日は少し暖かいか。どこかへ行きたくなる気持ちを抑えて、溜った仕事をする。3月刊行予定『ここが私の東京』に、増補で佐藤泰志、それに自分の上京の話と2章分、書き加えることになり、書き継いで、ほぼ形になった。前者は河出の『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』所収の文章に、倍以上の分量になる大幅加筆。後者は書き下ろしだ。これまで、自分の上京について、断片的にあちこちで書いてきたが、まとまって書くのは初めて。いろいろなことが春中心に思い出される。芋づる式に記憶が地中から掘り出されるのを抑制するのが大変だ。
昨日は岡田可愛インタビュー原稿を送付。書きたいこと、いくつか落ちてしまったが、仕方ない。午後外出、新宿サブナードの古本市、今日から300円均一というので、少し早く出て寄ってみる。本の量は多くない。何か買えそうだったし、買うつもりでいたが、どこかでギアが入れ違ったか、買えずに退散。新宿は大変な人出で、混雑している。中央線族ということもあって、何となく東京の起点を新宿に置いているような気がする。そのわりに、あんまり知らない。行く場所が決っているせいか。家内が身重になり、一馬力で家計をやりくりしなくてはならない緊急事態となり、トパーズ・プレスの瀬戸川猛史さんに仕事を世話してもらおうと、指定された新宿の「トップス」へ行ったこともある。これは自分の東京物語には書かなかった話。しかし、上京して、最初に書く仕事をもらったのが瀬戸川さんで、当時、産經新聞書評欄の無署名書評を、瀬戸川さんが請け負っていたのだった。四谷にあったトパーズプレス編集部へ何度か通った。それだけのつながりで、また瀬戸川さんに泣きついたのだ。雑誌がなくなり、立ち消えとなったが、「ジャパン・アベニュー」編集部に空きがあり、推薦してくれると瀬戸川さんが言ってくれた。続いていれば、おそらく編集に加わっていたと思う。これ、どこかに書いてるな。瀬戸川さんはその後、若くして亡くなられた。瀬戸川さん、ありがとうございました。
川添登『東京の原風景』を、ラインを引きながらガシガシ読んでいるが、名著ですね。江戸が世界有数の盆栽、植木、花の都市になったのは、家禄だけ得て仕事のない幕臣たちが当時、大勢いて、「植木でもいじっているより仕方がなかった」とか。