また変な時間に目覚めてしまった。朝食をたべ、手紙を一本書く。それにしても、書き文字がどんどん小さくなる。昔のノートなど見ると、そんなでもない。手帳にこまかく書き込むクセが常態になったのか。指先に力が入らぬこともある。拡大コピーを取って、送るようにしたほうがいいか。それもなんだかバカバカしい。
〆切があるので、本当はこういうこと書いてはいけないんだが、昨日、「所沢古本まつり」2日目へ。入口でSさんにばったり。あ、中でも別のSさんに会った。入口のSさん、一万円ばかし買ってしまいました、と言う。いつも精力的だ。『野呂邦暢古本屋写真集』のこと、尋ねられる。これで少なくとも一冊は売れるようだ。
古本まつり会場に2時間半はいたか。それでも3分の1も見ていないだろう。集中力がとても続かない。ぼくよりはるか先輩が、熱心に、たゆまず本棚を見ておられるのだから、こんな弱音はおかしいかもしれないが、疲れ易く、目は眼球が悲鳴をあげる。セルフ籠に幻想文学系の本を入れた、80年輩のご老体、若い娘が裸になった写真集、雑誌を、「ふん、こんなもの」という感じで、しかし熱心に見ておられる。いいことだなあ。血液サラサラにして、われわれを先導ください。
「BOOK5」16号「二足のわらじ特集号」もおもしろかった。古書モダン・クラシックの古賀大郎さんの「ぼくと二足のわらじ」で、郵便局の契約社員ゆうメイト」を知る。「あのブコウスキーですら務まった職場、それが郵便局であった」に笑う。古賀さんはここで8年間、自称「不良社員」として夜、働きながら、古本屋を経営してきた。「私は古本屋で稼ぎたいが、稼ぐためだけに古本屋をやりたくはないのだ」のことばに感動する。南陀楼さんの連載「どうせ本は見つからない」は、今回は引越ししたせいで、本が見つかった話。赤いドリルの那須さんが、過去に財布をなくし、その後に起きた顛末を書いていて、これも知らない世界であった。よく考えたら、知らないことばかりなのであった。今まで、ぼくは、どうして生きてこれたのか。
「編集後記」でユーセンくんが、熊本の古本市および古書店を巡ったことを報告していて、「ずっと目からうろこ状態でした」と一節を締め、次の節で「どのあたりにうろこがあったのかよくわからないのですが」と続けているのに、爆笑。うまいもんだなあ、どこかでパクって使わせてもらおう。
「BOOK5」は次号から季刊になる由。いいんじゃないのかなあ、無理せず、継続してほしい、一ファンとして。