こないだ、コミガレに岩波の『断腸亭日乗』の第二巻が転がっていて、触手動けども、手にし時の重さに思案、よって諦める。今朝、文庫版の上巻をパラパラ拾い読む。大正八年正月、芸者八重福を落籍し、養女にすることを思い立つ。「余命いくばくもなきを知り、死後の事につきて心を労する」ゆえに、遺産の行き先について、この八重福を養女にするかたちで相続させようという考えであった。「余命いくばくもなき」というが、このとき荷風四十一歳。けっきょく、八重福の身元を調べると「思ひもかけぬ喰せ物」であることが判明し、断念する。
四十一にして余命を考えるも、遺産のことを心配するも、芸者を落籍するも、当方には無縁のことなり。
昨夜、パソコンのキーボードに水割りをざんぶとこぼし、ああ、またやってしまった、キーボードをこれで再三ダメにしてきたのに、と思ったが、今朝、打つとだいじょうぶみたい。無用の出費は避けたい。
届いた「中央公論」7月号、読むべきところ多く、朝食後に親しむ。特集「すべての町は救えない」の地方都市の惨状。女性と子どもが消えて行く、その加速ぶり。熱海の凋落など。
佐藤優中瀬ゆかりの「『修羅場の極意』刊行記念対談」は傑作。例のパソコン遠隔操作事件の片山被告、「自白」でどんでん返しとなったが、佐藤のところにグレーゾーンの時期「支援に加わってくれ」と要請があった由。直感が働いて断ったが、「もし支援の輪に加わっていたら、今頃大変な修羅場」と佐藤。日本社会に修羅場のエネルギーがいま充満と指摘。一つことが転がると、一斉に同じ方向に流れる傾向あり。たしかに。佐藤は「小泉フィーバー」あたりにその起源を置く。続いて「タマちゃん」騒動。「たかがアザラシ一頭の話に、相当長い期間、日本中が翻弄された」。あった、あった。「その次が、白装束のパナウェーブ」。あった、あった。そのほか、修羅場のくぐり抜け方について、おもしろい話が続く。
いま調べたら「タマちゃん」騒動は2002年。もうそんなに前のことか。しかし、あの感性の弛緩現象は、いまの「ゆるキャラ」ブームにつながり、この先もたぶん手を変え品を変え、登場するだろう。