往来座ブログで、いま建設中の豊島区新庁舎の場所が、かつて木山捷平の下宿跡であったことを知る。ノーマークだった。http://ouraiza.exblog.jp/ぼくが酷愛する『山手・下町散歩』地図では日の出小、となっている。ちょっと古い。雑司ヶ谷霊園からもほど近い。今度、歩いてみよう。
井伏鱒二荻窪風土記と阿佐ヶ谷文士、というサイトに、こういう記述がある。

東京府北豊島郡雑司ヶ谷(現豊島区)に下宿し、近くの墓地(片隅に市ヶ谷監獄合葬地が
あった)を毎日のように散歩しながら思いをめぐらし詩を作っていた。同郷の出身で東洋大学
先輩でもある赤松月船の詩誌<朝>(同年(T14)<氾濫>と改題)の同人となり、大鹿卓、草野心平
黄瀛(こうえい:中国籍)ら同人との親交が始った。月船の口添えで、木山の詩が<万朝報>
に載り、たばこ銭程度というが初めて原稿料を得たのがこの時(T14/6:21歳)であった」

カバーが新バージョンとなった新潮文庫『一握の砂・悲しき玩具』で、少し啄木を読む。「売ることを差し止められし/本の著者に/路にて会へる秋の朝かな」なんて句がある。「曠野より帰るごとくに/帰り来ぬ/東京の夜をひとりあゆみて」なんて、やっぱりいいんですね。あと、聴覚、嗅覚に訴える句がけっこう多いのに気づく。
音羽館に出たばかりの村上もとか『フイチン再見!』の2巻が売られていて、帰りの電車で読了。ドラマ化希望。