玄関前に作った雪だるまは、頭が落ちて、溶けかかっている。
昨日、図書館へ。スペンサーシリーズ、あと2、3冊残して、入手できないでいるので、同じR・B・パーカー「ジェッシイ・ストーン」シリーズ「暗夜を渉る」を読むと、やっぱりおもしろくて、続きを何冊か借りに行く。ミステリの専門家は、いまさら「R・B・パーカー」なんて、と推さないだろうが、ぼくは推す。ストーリーが巧みで、脇役にいたるまで、たんねんに描き込まれているから。
図書館廃棄本に鈴木志郎康さん詩集『日々涙滴』裸本があって、持ってるのだが、急に読みたくなってもらってくる。そのまま国立まで出て、「ド」の3階で、コーヒーを飲みながら『日々涙滴』を読む。ほぼ見開きで一編が収まる短詩の連作。日常を切り取り、そこに生活者としての批評が加わる。現代詩の達成の一つだろう。まだ吸い終わっていない、ザ・ピースを3本も吸ってしまう。
「ゼンマイの猫を放す」全編を引く。
「ガツン/とやられて、朝、目をさました/草多(注 そうた。鈴木さんの長男)が/ゼンマイの玉じゃれ猫を持って笑っている/幼い姿が目に入るのだ/眠いのにといって怒るわけにも行かない/猫のゼンマイを巻いて/板の間に放してやる/草多が追って行く/その仕草を夢の中に引き入れ切れないまま/成長するものの手に/再びガツン/とやられて。床の上に起きてしまう/またゼンマイを巻いて/板の間に放してやる」
それがどうした、と思った人は、もう一度注意深く読んでほしい。いい詩なんだ、これが。
草多くんには、鈴木邸で会っている。まだ大阪在住時代、上京しようと決意して、鈴木志郎康さんに相談に行った時のことだ。代々木上原にある、高名な建築家が建てたコンクリートの現代建築が鈴木邸。途中、道すがら、対象的な日本家屋の小沢昭一邸を発見したのだった。
鈴木さんに上京することと、「谷中あたりに住みたい」と言うと、「けっこう、あのへんは高いよ」と言われたのを覚えている。一晩泊めてもらって、朝食に出たオニオンスライスが、初めて食べるように旨かった。鈴木さんには「飾粽」という詩の同人誌に勧誘してもらい、上京してしばらく、この編集会議に出るのが、ぼくの「東京」だった時期がある。あんなにお世話になりながら、鈴木さんには礼状の一本も書いていない。