いろいろ検索していたら、英語圏の「ディック・フランシス」サイトを見つける。騎手時代、グランドナショナルで、第四コーナーまでトップを走っていた、デヴォン・ロックが、突如、足を曲げ、止まる。女王陛下の見ている前で。そのフィルムも見ることができる。しかし、この悲劇、屈辱が作家、ディック・フランシスを作った、とも言えるのだ。
http://www.felixfrancis.com/index.php?page=Biographies
「読売」で書いた、ディックフランシスの記事とともに、シッド・ハレーもののコーナーが、三省堂本店で作られている、とフランシスファンのネギさんから、教えてもらった。さっそく、行ってみよう。
「緑壱」イベントの告知はがき、せっせと切手を貼り、住所を書き、今年、名刺交換した人を中心に30枚くらい作って、出しにいこうと外出して、帰宅したとき、気づいたらハガキがない。家に忘れたかと思ったが、ない。無意識のうちにポストに入れたのだろうか。その記憶がない。むむむ、いよいよ来たか。
夕方、電話で善行堂と話す。われわれの飛躍を妨げる、均一精神について。高級レストランが食品偽装しようと、まるで縁がない。
一日がかりで、なんとかサン毎10番勝負を送付。最初、アーヴィング『ひとりの体で』を「いちおし」にと思って準備していたが、考えたら、先週も新潮社であった。さすがに二週続くのは。きゅうきょ、稲垣潤一『ハコバン70's』講談社に切り替えて原稿を。1970年代仙台、音楽漬けの青春。仙台の人、必読。
このあいだ、「ネギシアター」でリクエストして、みんなで見た、はっぴいえんど再結成のライブ、どこかのスタジアムみたいだったが、どこだろうとみんなで話してたのだが、これが判明。1985年6月15日「国立霞ヶ丘陸上競技場」だった。なぜ、拓郎が司会しているのか、それもフシギだったが、どえらいコンサートだとわかった。以下、ウィキペディアより。
はっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカルは松任谷由実)の再結成の他、吉田拓郎オフコース佐野元春サザンオールスターズさだまさし南こうせつチェッカーズTHE ALFEE山下久美子坂本龍一武田鉄矢財津和夫、イルカ、白井貴子アン・ルイス、ラッツ&スターらが出演し、再現は不可能な顔ぶれが揃ったが、吉田拓郎オフコースから始まり、はっぴいえんど松任谷由実を経由してトリが佐野元春、飛び入りゲストがサザンオールスターズという演奏順で世代交代を象徴する流れだったため、後に細野晴臣が「ニューミュージックの葬式」などと揶揄した」
はっぴえんど、拓郎、白いブーツでユーチューブ検索すれば、見られるはずです。
はっぴえんどの解散が1973年9・21。再結成のとき、大瀧詠一が12弦ギターを弾いて、それは解散以来、初めて持ち出した。12年ぶりだった。ギターケースを開けたら、解散コンサートで使った歌詞カードが出てきた、という。これは坂崎幸之助のラジオにゲストで出たとき、そう喋っていた。この9・21解散コンサートでは、暗転のち、スクリーンを張って、大瀧がCMソングを歌ったサイダーのCMを映したら、バカウケ。ドラムを叩いていた林立夫(おかずを入れないので巧いと思われているが、単に手を抜いているだけ、と大瀧評)が、「寝技で来たか」と言ったとか。
サイダーのCMだけ、張っておきます。黄金の風吹じゅん。