来る12日、今度は下北沢「B&B」で、稲塚監督と「書くことの重さ」について、たっぷり喋ります。お時間ありましたら、以下のホームページから予約等、よろしくお願いします。
イベントタイトルは「岡崎武志×稲塚秀孝 孤高の作家、佐藤泰志を語る・・・「書くことの重さ」公開記念」です。
http://bookandbeer.com/
こちらがb&bのホームページ。
http://bookandbeer.com/blog/event/20131012_a_yasushisato/
先週、文芸評論家の秋山駿さんが亡くなった。
「切れ味鋭い批評で知られた文芸評論家で、日本芸術院会員の秋山駿(あきやま・しゅん)さんが、2日午後10時29分、食道がんで死去した。83歳。告別式は近親者で行う。自宅は東京都西東京市谷戸町1の22の1の1414。喪主は妻、法子さん。
 東京都生まれ。早大仏文科卒業後、仕事につかず街をさまよい、「石ころ」の思想と呼ぶ内省的な評論を磨いた。報知新聞社在職中の1960年、「小林秀雄」で群像新人文学賞を受け、文芸評論家としてデビュー。18歳の少年が女子高生を殺害した小松川事件などを扱った67年の評論集「内部の人間」で注目された。76年から81年には、読売新聞の文芸時評を担当。三浦哲郎さんをはじめ同世代の文学を論じた。
 東西の古典を自在に引きながら天才の素顔に迫った歴史評論「信長」で、96年、野間文芸賞毎日出版文化賞を受賞。東京農工大教授を務め、川端康成文学賞野間文芸賞など数多くの文学賞の選考委員も務めた。文芸誌「群像」で「『生』の日ばかり」を連載中だった。
 文芸評論家、富岡幸一郎さんの話「作家や作品論だけでなく、犯罪や社会の問題など人間の内面を探究し、批評を深めた人だった」
(2013年10月3日12時58分 読売新聞)」
 ぼくは、「芥川賞」の取材で、もう10年以上前になるか、お目にかかっている。秋山さんは当時、東京西郊の団地に住んでおられて、指定された西武線某駅前の中華でお目にかかった。いきなりビールを注文されて、ぼくもご相伴にあずかって、しかもけっこう飲まれた。非常に優しい方で、こちらを気づかうように喋ってくださった印象がある。古い著作を持参してサインを求めると、「おお!」と言って、サインしてくださった。取材が終り、会計の段になると、伝票をつかみ取り、「いや、取材費が出ますので、ぼくが」と言うと、それを制して、「君には払わせられないよ」(よほど貧しいライターだと思われたのか)と言って、断固として支払いをされた。こういうとき、お言葉に甘えていいのかどうか、いまだに判断がつきかねるが、このときは素直にそうさせてもらったのだ。
取材された方が、どんどん亡くなっていく。