okatake2013-04-06

阿部達二『歳時記くずし』は、非常におもしろい歳時記エッセイで、感心しながら読んでいる。
夢声の弟子で、活弁から俳優、記録映画監督をした丸山章治のことが出てくる。彼は、ことば遊び(だじゃれみたいなの)の句をさかんに作り、それを明治製菓宣伝部時代の戸板康二が注目し、八十句を小冊子として、戦線の兵隊への慰問袋に入れたという。これ、古書界に出てくるとおもしろいんだが。
「久々に故郷に変えれば桔梗(帰郷のしゃれ)かな」はその一つ。
猥歌の奨励、みたいな話があるのだが、そこで思い出したのが、中学時代、ともだちが歌っていて、おもしろい歌だなあと思って記憶にあるのが、猥歌ではないが次の歌。自分でも、いまでも覚えているのに驚いた。すらすら出てきた。こんなの。気に入ってよく歌ってたんだろうな。40年も前のこと。
「朝も早うから弁当箱ぶっさげて/学校通いはつらいもの/校舎焼け焼け寄宿舎ぶっこわせ/校長コレラで死んでしまえ
校長死んでも誰が泣くものか/山のカラスが泣くばかり/山のカラスもただでは泣かぬ/団子欲しさに泣くばかり」
当時、これが何の歌だかわからなかったが、いま考えると、旧制中学の寮で学生に歌われた歌ですね。検索したら、よく似たのが出てきた。いろんなバリエーションがあったのだろう。
「学校焼け焼け寄宿舎ぶっこわせ/校長コレラで死んでしまえ/校長死んだとて誰泣くものか/山のカラスが泣くばかり/山のカラスもただでは泣かぬ/墓の団子の喰いたさに」
これは旧制盛岡中の寮生のあいだで歌われたらしいが、ちょっと歌詞が違う。
またちょっと違うのに「校舎つん燃やせ/寄宿舎ぶっこわせ」と書かれたサイトも出てきた。これは運動会が終わったあと、座敷や幟を校庭で燃やし、歌い踊るファイアストームで歌われた由。なるほど、いかにもファイアストームにふさわしい。おそらくそうでしょう。
となると、件の友人は、ぼくに教えたこの歌をどこで覚えたか、だ。父親が歌ったのを覚えたのだろうか。枚方第三中学の、名前も忘れた友人。
そうそう、歌のつづきをいま思い出したが、最後は「校長死んだら位牌を焼いて灰にして屁で飛ばせ(途中、一部不明)」で終わる。ひどい歌ですね。
「日本の灯台」を紹介するサイトを見つけた。これはうれしい。
http://lighthouse-japan.com/
岡林信康が歌う、童謡「灯台守」いいねえ。