土曜朝、csTBSで扇遊「芝浜」を見て、NHK「おはようニッポン」。荻窪の町さんぽ。教会通りが映る。そうそう、木造のクリーニング屋。すごい建物。与謝野公園前の布団屋がサロンになっていて、というところで、ここで中央線文学散歩の権威、吉祥女子の萩原先生がいればなあ、と思っていたらやっぱり登場。ああ、と声が出た。たぶん一時間ぐらい喋って、使われたのは数十秒ということではなかったか。同い年なんだが、しかし、荻原先生、若いなあ。
とてもうまく編集された朝日文庫の「現代俳句の世界」、石田波郷集が大事な一冊になった。ガシガシと鉛筆でラインを入れながら読んでいる。清瀬、砂町にもう一度行きたくなった。砂町における波郷邸の位置もほぼ確認できた。記念館では、そこまでくわしく明示していなかった(現北砂二丁目とあるだけ)。随筆を読めば、特定できるのに、ちょっと不親切。近くに「砂町キネマ」という映画館があったはずだが、記述がない。
都電を研究したサイトに記述あり。http://park.geocities.jp/ktyyn32/38keitou.htm

境川の砂町キネマ
 境川の分岐点では、38番の錦糸掘〜日本橋は真直ぐに通過するが、須田町から来た29番の葛西橋行は、ここでポイントを左折していた。そのその曲がりっぱなにあったのが砂町シネマである。
 櫛形の屋根の横に空気抜けの小千鳥破風が二つあって、なかなか面白いと思った。この砂町キネマは、終戦直後、映画館を12も経営していた、深野福次郎が建てたものだ。
 大正時代から砂町に住んでいるタバコ屋の関正勝さん(明治39年生まれ)は「この辺は東京大空襲で焼け野原になり、終戦直後、私がここに家を再建したときには、周りじゅうが原っぱで城東警察署と家だけでしたよ。皆はまだ防空濠を急場しのぎになんとか拵(こし)らえて住んでいましたっけ。ここから上野の山まで一望千里だったし、荒川放水路の土手も丸見えだったし、いまでは、信じられない眺めでしたよ。目の前の砂町キネマは、1階と1階があって、座席の憶の方が高くなって、とても見やすかった。2階は、芝居の船さきみたいに左右に張り出した座席があったし、この辺の人はよく見に行ったもんですよ。深野福次郎さんが12、3年前に亡くなった時には、花輪が350も並んだんですよ。その後、映画館もなくなりましたよ」。と語ってくれた。