okatake2012-11-24

「ただいま読書中」連載「富士正晴と上京しなかった文学者たち 3」を書いて送付。あと二回ほどのはずで、とうてい最後までは行けない。行けるところまで、まとめておきたい、という気持ちである。
家族で京王閣の「蚤の市」へ行くつもりだったが、「サンデー毎日」の「古本女子小説」取材三ページの誌面ゲラが出る予定で、待機。pdfで仮組みを見せてもらっているが、やっぱり不安。責任もあるし、仕事が優先だ。あたりまえか。
明日は「蚤の市」へ行きたい。http://tokyonominoichi.com/about
新潮ムックで『原節子のすべて』が出て、ここにフィルムセンターにもない、原節子出演の映画「七色の花」がDVDでついている。買って、観る。中山義秀の原作。昭和25年の作。龍崎一郎杉村春子、角梨枝子、三島雅夫千秋実、そして原節子。うじうじめそめその悲恋もの、と言えばいいか。戦後、出版バブルに乗って、流行作家(龍崎扮する)がいかに稼いでいたかがわかる。そして、原稿執筆の長逗留には、やはり房総へ行くのだな。鎌倉に住んでいるから、変わりがないように思えるが。催促や雑音の届かないところ、と言うべきか。
しかし、三島雅夫は好色な小悪人がじつによく似合う。「晩春」で、若い後添えをもらい、原に「不潔」と言われる大学教授役もよかった。不世出のバイプレイヤーなり。房総で龍崎が再会する恩師(青山杉作だ、娘が原節子)が、気が狂い、戦争で失った息子の名を海に向って呼び続けるシーンがよかった。カンカン帽を小道具で駆使し、笑いを取るところも巧い。俳優・龍崎について言及されることは少ないが、原稿をかきあぐねて、畳の上に仰向けになるところなど、よかった。動きは少ないが、立姿に貫禄があり、それでいいのだ。
ぼくは映画の場合、主演は名優だったり、巧すぎる俳優だったりする必要がない、と思っていて、回りを達者なバイプレイヤーで固めれば、場合によっては、主演は体つきや容姿で選ばれるべきで、あまり芝居をしなくても成り立つ。原節子なんて「大根」とずいぶん言われ続けていた。瑞々しい大根が、おでん鍋の主役になるのだ。