okatake2012-05-17

ビッグイシュー」に竹中労鞍馬天狗のおじさんはちくま文庫を。楽しい再読だった。
サンデー毎日」書評。池内紀恩地孝四郎 一つの伝記』幻戯書房を。労作、で片づけるのは失礼な意欲作。造本がそれに見合う、がっちりしたできばえ。しかし、書評は苦労した。
「hb paper 2」申込んだのがすぐ届く。相かわらず表紙がいい抜けだ。ラストで、京都祇園での連続人身事故について、容疑者が橋本くんと同じ1982年生まれであることから、即座に反応した「やはり」を、「物語と重力」というテーマに還元していく。みごとな考察だ。コラムを含め、ここに登場するのは、多く1980年代前半の若者である。あたらしい地層が見える。30歳のとき、ぼくは橋本くんほど、優れた若者ではなかった。なんでもなかった。
教育雑誌の連載コラムに、若桑みどりが2002年に朝日新聞に書いた、小さな文章を引用する。1961年にヨーロッパ留学した若桑。その途上、船内で同室になった中国人の会話の通じない娘とのエピソードが、すばらしく感動的だ。同じ船には蓮實重彦川田順造などが乗っていたのだ。
「ブ」で、あがた森魚「乙女の儚夢」を買ってきて聞く。1972年に発売された。当時か少しあと、聞いたときは、ここに流れる「大正ロマン」の匂いがわからず、異様な印象を受けた記憶がある。大正期の文物を知ったいまでは、その先駆性に驚く。のすたるじい、というより新しかったんだ、1972年には。と思う。