知り合いが古書店へは持ち込めないランクの本を、册数はわからないが「ブ」へ持っていったら査定が5円だった、とブログに書いている。5円って! 「ご縁がありますように」という洒落か。5円でも、買取りの用紙にあれこれ記入しなくちゃいけない。これは某古書店が、不要な本を建て場(リサイクル再生紙にするための受け入れ場所)へ持ち込んだら、一キロ6円だったという。下手をすると、クズ紙としての値段のほうが高いかもしれない。じっさい、古紙が急騰した時代があって、古本で扱うより古紙の方が値がいい、ということがあったと話を聞いたことがある。
新聞でいまさかんに、電子版新聞購読の勧誘をさかんにしている。数十年先に「紙」としての新聞がなくなれば、古紙の市場は、また値が上がっていくかもしれない。大型倉庫を持っている人は、いまのうち段ボール新聞紙を溜め込んで、値上がりを待つといい。「千両新聞紙」という新作落語ができそうだ。新聞紙の匂いをかぎたい、と病気になった若旦那のため、番頭が奔走して,囲った新聞紙問屋から、一枚一万円で新聞紙の束をまとめて買う。これで400万円かと、番頭は新聞紙を結束した束を抱えて逐電してしまった。
昨晩、5月連休に行く長野の一箱イベントトークのため、ホテルを取ろうとあれこれやるが、最後のところでまったく、なにをどうやってもダメで弱り果てたが、けっきょく、JーCOMのメンテナンスの問題で、今朝やったらあっさりアクセスできた。長野にも信濃毎日新聞の書評委員になったり、不思議な縁ができた。たのしみにしている。