わたしの好きな日

okatake2012-03-21

アマゾンで注文した詩集、和田まさ子『わたしの好きな日』(思潮社)が届く。立川へ出たら、寄るのが楽しみになった「オリオンパピルス」で、この詩集が平積みになっていた。まずカバーデザインに惹かれ、なかをパラパラ読んだら、心にフィットするものがあった。帰宅してから、「あれは、やっぱりいい詩集だったぞ」と思い、注文。挟み込みを新井豊美さんと福間健二さんが書いていて、福間さんによると、著者は国立市の職員だという。どこかですれちがっているかもしれない。この詩集のいいところ、優れたところは、うまく説明できない。いくつか、一部引用してみる。
「わたしは魚たちと語り合ったことを覚えている/魚たちはてらてらと輝き/日の光におぼれていた/わたしはほれぼれと魚たちに見とれた/よろこびは記憶しているもののなかにある/すべては過去になってから/欲しかったものの像をむすぶのだ」(魚たちの思い出)
「『声を出せよ』/といわれた/たとえどんなにひとに祝福されても/もう夜の芯は冷えてしまった/荒れ地をさすらう/特別な魂のことを思うだけだ/わたしを生きさせてくれるものとして」(腐食していく)
「彼のほかにだれからも関心を持たれずに生きている/何もしたくない日もある/ふたたびいう/生きるスピードはこれくらいが/ちょうどいいのだろう」(河原で)
恋愛も含め、人間関係を、その距離の計りがたさを描いた作品や、町歩きの途上で目に映ったものからの触発で作られたような詩もある。ちょっと、川上弘美さんの世界を連想させる、とこれは個人的な感想。新井さんは「自由を求める彼女の感性が世間の常識とつねに衝突し、彼女の日々を生きにくく感じさせているからこそ、和田さんは詩を必要とし、言葉とユーモアの力を借りてその危機を危うく切り抜けてきたにちがいない」と解説する。
いずれにせよ、ことばの捉まえ方が確かで新しい。作品世界を十全に理解できたとはいえないのだが、熊本マリの「モンポウ」を聞きながら読んでいると、『わたしの好きな日』の世界に、ふわふわと浮遊していく感じを得た。これにいかなる詩の賞も与えられていないとしたら、ちょっとおかしい。