ぐっすり寝て、新聞を取りに外へ出たら、空は晴れているが風が強く、冷たい。春はどこらへんまで来ているのか。
昨日は「みちくさ市」、天候不順のなか、多くの人が来てくださった。売上げは散々だが、おずおずと声をかけてくださる読者の心遣いがうれしい。この日は、昼食交替要員として、娘と一緒に参戦。昼食でいつもつかう中華屋のタンメンがうまかった。
ぼくも昼の休憩に一回りして、ちょこちょこっと買う。創作陶芸のぐいのみを廉価で売っておられる店(本は文学直球)があり、うぐいす色のきれいな、大ぶりのぐいのみを500円で買う。お名前を店名にしたUさんからは、野口冨士男・松原新一対談収録の「群像」、井出孫六『明治民衆史』徳間文庫を買う。そしたら、新宿区が作った非売品『落合の追憶 落合に生きた文化人』という40ページ強のカラー刷り小冊子を、どうぞと下さった。これはありがたい。尾崎一雄の「なめくぢ横丁」の位置もこれではっきりした。
午後、雨がざっと来て、露天の出店者は早々と店じまい。お隣りだった高野ひろしさん「ペンギン文庫」も、あっというまに撤退された。暢気文庫さんとペアの、うちは幌がついていて助かった。店じまいされたUさん夫妻が、売れ残った段ボール一箱分の本を「岡崎さんにもらってもらえれば」と受け渡してくださる。喜んで、一冊100円箱として売らせていただいた。ありがとうございました。
ハニカミ(元)高校生も、例の公家的たおやかさで登場。大学はみごと合格したそうだ。もちろん文学部だ。これからはハニカミ大学生、と呼ばなくちゃ。選んだ二冊の文庫は、「合格のお祝い」として進呈する。彼の笑顔を見ただけでも、「みちくさ」に参加してよかった。早くに帰った娘に、このことを話すと、「ええっ、見たかった!」と言う。
善行堂へ行ったというお客さんにも、何人も会った。「ありがとうございます」と礼を言ってしまう。いいお客がついていて、いま一番幸せな古本屋ではないか。最近、静岡勤務に変ったが、京都時代、善行堂によく行ったという富田靖子似の女性は、『古本道入門』を持参しサインを求められる。また、京都へ戻りたいともいっていた。
本で人がつながっていく。「そんな時代もあったねと」と、過去形にならぬよう、楔を打ち込んで行きたい。
「風船舎」目録が届きました。音楽書を中心に充実。スパイダース映画のポスターも!
「あった、あった。」は戸塚文子『外人さん』ポケット文春を。
堺駿二のことをあれこれ調べる過程で、気分を出すため、エノケンのCDを聴いているが、一緒に歌う楠トシエのことが気になる。この卓越したコメディエンヌについて、ちゃんと書いた文章が読みたい。
そういえば、財津一郎の本もない。小林信彦『日本の喜劇人』がいつまでも、日本の喜劇論の決定版であるはずだ。
「みちくさ」で、いつも開いている、あれは何屋さんか、リサイクルショップみたいな品揃えの店があり、単行本100円から尾形明子『作品の中の女たち 明治・大正文学を読む』ドメス出版を拾う。あとで、見ると、漢字にふりがな、語注などの書き込みが。どうやら女子学生で、テキストに使われたらしい。漱石「道草」の章では、巣くう、深淵、脆さ、卑小、生々と、都度、生家、接吻などに、ボールペンでふりがなが打ってある。不思議と女学生の字、ということで書き込みも許せてしまう。著者は当時、東京女学館短大の教授で、その授業で使われたものと思われる。「彼岸過迄」ではタイトルに「ひがんすぎ」とルビ(本当はひがんすぎまで、先生の話を聞き漏らしたか)、閨秀作家にはよみがなと、「女流」と語注が入れてある。
本日、三鷹上々堂」へ追加補充と精算。いつもより売上げが少しいい。精算された値段票を見ると、おおっ、と思ういい本が売れている。ぼく、こんなにいい本を出していたのか。これからも補充、がんばります。上々堂はいい客をつかんでいるなあ。上々堂の帳場まわりは、買取した本が積みあげてある。春である。
『落合の追憶』を読んでいて、そうか、松本竣介も下落合。「立てる像」は神田川に架かる田島橋、背後に目白変電所。この変電所、つい最近まで現存していたという。しまったなあ。写真、撮っておくんだった。そういえば、いつか向井くんが、目白の変電所もなくなっちゃったと言っていた。これだ。落合について、詳細なレポート発見。すばらしい。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-09-15-2
今度、東西線「落合」で降りて、神田川沿いに高田馬場まで歩いてみよう。メモ、メモ。