昨夜、家族で映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」を観る。
予備知識なく(誰が出てるのかもしらず)見たのだが、そうか、そういう映画だったのか。重いテーマを軽く扱わず、傷つき易い少年の目を通して、ちゃんと最後まで着地させた監督の手腕を買う。これはコミュニケーションの映画、ですね。そう言ってしまえば、どんな映画でもそうだけど、少年(ある障害がある)は向いのアパートに住む祖母と、携帯ではなく、トランシーバーで会話する。双眼鏡で祖母の姿を見る。直接にはあまり話さないのだ。住居のマンションの管理人には悪態をつくことでしか話さない。9・11に巻き込まれて死んだ父親と、もっともよくコミュニケーションが取れていたが、父親の奨めるブランコには乗らなかった。偶然見つけた「鍵」を首にかけ、差し込む穴を探して、残された「ブラック」の文字を名前として、ニューヨーク中の「ブラック」を探す。祖母の家の「間借り人」と称する「喋れないのでメモに書き文字で会話する」老人に、思いのたけをぶちまけて、以後、「鍵」の謎探しにこの老人が加わる。名優、マックス・フォン・シドー。音でコミュニケーションできない老人(聞くことはできる)と、書き文字で会話するシーンがユーモラスで、ある時は胸に迫る。少年は、最初、テロを怖れて地下鉄やあらゆる交通機関を使えず、歩くだけなのだが、のちに本当の祖父だとわかる老人といることで地下鉄に乗る。恐怖をまぎらすためのタンバリンもうまい小道具だ。いつもキャーキャー、ワーワー言っているイメージのサンドラ・ブロックも、オスカーを穫ってからは演技派開眼、というところ。抑えめの演技、息子の名は「オスカー」だ。