okatake2012-02-12

コウエンジの均一祭、二日目の今日は100円均一になり、100円なら拾えると思った本が「国文学」バックナンバーほかあったが、行けなかった。気づいたら、月曜に三つ締め切り(その後、4本と判明。どうしよう)単行本のゲラ返しなどが待ち受けていた。読みかけの坪内祐三『探訪記者 松崎天民』をなんとか滑り込みで読了。「ビッグイシュー」はちくま日本文学全集の『森鴎外』を書いて送付。着々と片づけていく。
午後は娘と一時間ほど散歩。「スタバ」で休憩。帰り、わが町内の有名人・山谷初男さんの家を探して確かめる。おお、ここか。いや、近い近い。そうでしたか。娘に、山谷さんが、いかにバイプレーヤーとして優れて、多数のドラマ、映画に出演しているかを説明する。
2月26日、コクテイルでの「岡崎武志荻原魚雷の文章を書いて生きていく方法」トークイベントの告知ハガキを作る。来週中に、各所へ置いてもらえるよう、狩野くんに手配してもらう予定。初期に書いたライターとしての仕事も、御互い、披露しあうつもりでいます。
昭和に出た本を古本で買って、その背景にある時代相を読む『ご家庭にあった本』(筑摩書房)は、ごぞんじ、石丸澄子さんの装幀で3月末には刊行予定です。ぼくの誕生日あたりか。55歳になる。あと5年で還暦か。
ちょっとお金のいることがありそうで、今年はあと、二冊はなんとか本を出したい、と思っている。赤旗連載に大幅加筆した『上京する文學』も、できるだけ早くまとめてしまうこと。光文社新書『蔵書の苦しみ』もなんとか。これ以外に、芽があるものもあり、50代を充実させないと60代はない、と思う。そんな話も、今度のコクテイルで魚雷くんとしたい。かなり、マジな話になりそうだ。
30代半ばで結婚した頃、ぼくの年収は300万から350万ぐらいで、このころが一番気楽で、時間もたくさんあった。もっと勉強しておけばよかった、と思うがあとのまつりだ。まだ著作は一冊もなく、校正のアルバイトも並行して、してたっけ。みんな歳下の若いライター仲間と楽しくワイワイやっていた。青春をやり直す、って感じであった。あっというまの二十年だ。この先、二十年のことなど、考えられない。善行堂もがんばっているので、励ましあいながら、なんとか人生をまっとうしたいものだ。
エコノミスト」書評コラム、芥川・直木賞の舞台裏を読む三冊の原稿を仕上げ、「あった、あった。」は三一新書の『ゲバラ日記』(1968)。後ろ見返しに股旅堂の値札が貼ってある。「あった、あった。」ネタ用に買ったと思われる。このころの三一書房の出版物の異端、先鋭、青春ぶりに、うーむとうなる。明日のことを考え、もう一本、書いておきたいが、もう気力が種切れ。
夕食後、LED電球を買いに家族で家電ショップに。栄「ブ」のCDセールで三枚買う。「バート・バカラック・プレゼンツ スウィート・メロディーズ」二枚組ほか。なぜ、こんなにバカラックが好きなんだろう。同種のものを何枚も持っている。