「男と女」が好き

つばが器官にはいって、ゴホゴホとむせることが、若い頃より多くなった気がする。老いの顕著な徴候だろうか。
半年前に買い替えたパソコンのキーボードが不調で、原因はわかっていて、頭の上から落ちてきた本がごつんとキーボードを直撃したことがあって、そのときどこかが壊れたのだろう。スリープ、あるいはスイッチを切っていても、勝手に画面がアップされている。また買い替えるしかないか。
このところ、受贈書の報告を怠っています。いただいておきながら、すいません。
クロード・ルルーシュ「男と女」特別編というDVDをアマゾンで注文、届いたので、しっかり見る。たわいない中年男女の恋愛話だが、それを細かいカットの積み重ね、フランシス・レイの音楽で見せていく。ぼくは好きなんですね、この映画。ただ、蓮實重彦を代表とする映画の高踏的ファンのあいだで、フランシス・レイが好き、というのは、文学好きのあいだで、相田みつをが好き、というぐらい勇気がいる。しかし、好きという気持ちはどうしようもない。
ルルーシュへのインタビューと、撮影現場のドキュメンタリーという特典映像が貴重。
「男と女」は、無名の若き映画監督により、低予算で短期間で、半ば即興的に作られた。カメラは監督自身が肩にかついで、動き回りながら撮った。カラーとモノクロが混在しているのは、最初、モノクロで撮る予算しかなかったからで、出資者が現れたことで、戸外はカラーで撮影。ただし、カラー撮影のキャメラが、回すとき、すごい音が鳴り響くため、多くは人物を望遠で撮った(ドーヴィルの海岸のシーンを見よ)。それがルルーシュのスタイルになった。
フランシス・レイの音楽は撮影前にできていた。出演俳優には、場面、場面で使う音楽を撮影する前にテープで聴かせた。音楽で、その場面の意図(イメージ)を伝えて、俳優はそれにあわせて演技した。脚本はいちおうあったが、それを俳優にわたすことはなく、撮影前に、この場面のシチュエーション、人物の心理を俳優に伝え、その場で、台詞を考えさせた。
村上春樹の「1973年のピンボール」だったか、クロード・ルルーシュの映画で降っている雨だ、というような文章があったが、この映画でも雨、霧が印象的。ルルーシュは、「雨、霧、風」がこの映画の主役だ、という。寒さも重要で、寒いと愛がより燃え上がるそうだ。
モンテカルロ・レースに主人公が参戦するシーンがあるが、これは、実際にレースに一チームとしてエントリーし、交替して運転する三人のチームにルルーシュが加わった。レース中に髭が伸びる、なんてところも撮りたかったという。事実、レース後のパーティ中に、彼女から「愛している」という電報を受け取った男が、喜びいさんで数千キロの距離をパリへ向って車を駆るシーンがあるが、その車のなかで、ジャン=ルイが小型の電気ひげ剃りでひげを剃る。
いつかドーヴィルの海岸へ行ってみたい。長大な「男と女」論を書いてみたい。