説教は似合わぬ

ちい散歩」で、舞岡駅からの散歩。こんなところが、と驚く田畑と、広い公園(舞岡公園)が。横浜市営地下鉄は、いまブルーラインというのか。「舞岡」は戸塚から一つ、東へ。この秋、散策したくなる風景でした。しかし、当然ながら古本屋はない。戸塚まで行けばあるか。明治学院大学が隣接しているのだが、古本屋の可能性はないか。ないだろうな。
音羽館に好きなのどんどん持っていってくれ、と大量処分したとき、当然、持っていっただろうなと思っていた、ユリイカ「監督 川島雄三」が残っていた。うれしい。
夫婦で協議して、娘に説教。まったく、説教するガラかよ、と思うが、これも親の務めと思う。しょげてる娘を見ると、胸が張り裂けそうになる。考えたら、うちの両親は、子どもに説教らしいことを何もしない親だった。「勉強しろ」「早く寝ろ」「明日の準備はできたか」「そんなことでどうするんだ」など、いっさい言われたことがない。それはぼくが優秀なのではなく、かなりの劣等生だったのだが、どこかで子どものことを信用していたのか、今となってはわからない。でも。子どもを頭ごなしに押さえつけるようなことはいっさいなかった。そのことをいま、感謝している。
一度、なんのことだったか、四十を過ぎてから、実家で母親に何か、欠点を指摘され、「それは親の育てが悪かったからや」と反論すると、意表をつかれたように笑っていた。申しわけなくて、涙が出そうだ。
親は子どもに何を言うべきか。答えはないのだ。しかし、親になって、ぼくは少しは真っ当になった。そう思う。ぼく自身は、子どもにどうあってほしいとか、どうなってほしいという希望はあまりなく、ただ元気で、つらいことも楽しいことも経験してほしいと思うだけだ。自分より早く死なないでくれ、と願うばかりだ。
12月10日発売予定の、中公新書ラクレの新刊『古本道入門』の初校ゲラを、何とか読み、チェックを終わる。校正のチェックがなければ、ぼくはバカ同然である。ありがたし。もっと緻密に仕事がしたいと思うが、どこかスキがある。厳しくなれない自分を抱えて、五十代半ばが過ぎていく。
川本三郎さん新刊、『小説を、映画を、鉄道を走る』集英社、の書評を書く。ぼくにとって、川本さんは、理想の書き手の一人。
神保町青空展で買って、JPICの荷物に混ぜておくってもらったのが届く。中村武志『埋草随筆』、黒田智子『近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現』、それに、これは売ったのを買い戻すことになった上林暁『草餅』。三冊で、なんと七百円。どうしてこんなに安いんだろう。

さいきん、ギターでこの歌ばかりうたっている。

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