傘がない

郵便局、カメラ屋など雑用。郵便局に600いくらかを振り込もうとしたが、やり方よくわからず、局員に聞くと親切に教えてくれ、「いくらお振込ですか」と言われたので金額を言うと、「振込手数料が500(いくらか)かかりますが」と。ぎょうてん。なぜそんなにかかるのか、泥棒ではないか。たしか、銀行振込で、過去、一度しっぱいをし、二度手数料と何とかで1000円以上の額を告げられ、暴れそうになったことがある。ゆうちょの通帳があれば、手数料なし、とかで、そうしよう。世の中、わからないことだらけだ。このところ、やたら蚊に食われるしな。
古通」連載、世田谷線豪徳寺商店街へ、をようやく送付。新しく買ったデジカメなので、パソコン送付の方法がわからず、カメラ屋でプリント。すると、ここでも操作にとまどう。何度もやってるのになあ。また、店員を呼ぶ。なんだ、そういうことか。おれはバカなのか。そうかもしれない、と思う。図書館で調べたい本があり、パソコンで検索するが、タッチ式がふさがっていて、マウスでクリックするタイプのものに張り付くが、ああしてもこうしても画面が変わらない。離れてみていると、小学生くらいの女の子はさっさと操作して、済ませる。また、試みるがやっぱりダメだ。おれはバカなのか。そうかもしれない。昭和が懐かしいよ。
誰かに手紙を書こう。アナログな手作業だけがぼくの味方だ。
今夜は陽水。
高野悦子二十歳の原点新潮文庫のカバーは杉浦康平だったんだ。単行本もそうだったのかな。1969年6月3日の記述に「机の中をひっかきまわしてみつけた五〇円で煙草を買い、雨にぬれて(傘がない)喫っている」とある。「(傘がない)」と何気なく、事実を書いたんだろうが、われわれは陽水の「傘がない」を知っている。高野悦子の命はあと二十日もない。

では、陽水「傘がない」を。