朝、早起きしてTBS放送用原稿を書く。山田順『出版大崩壊』。
昨夜はもちろんBSで木下恵介二十四の瞳』を。誰が言ったか、日本のテレビドラマ(これは映画でもそうですが)で、ぜったい出てこないセリフが「まあ、お兄さん(お姉さん)とそっくり」あるいは親子そっくり。似ているはずがないから、そう言えないんですね。ところが「二十四の瞳」では、小一の子どもの5年後、ほんとうに5年後に撮ったように、顔の面立ちがそのまま。このリアリティが、日本中を一番泣かせた映画を支えている。たしか、ある企画で、観客の目の下に長い紙のテープをぶらさげ、「二十四の瞳」を見せて、どれだけ涙が流れるかという実験をやったことがあった。
兄弟姉妹が似ているのは、ぼくはなんとなく、本当の兄弟姉妹をそのまま役者として使ったと記憶していましたが、じっさいは全国から大量の子どもを集めて、似ている顔のペアを作ったとのことです。
金比羅さんの修学旅行。偶然、食堂で教え子のマッちゃんを見つけるシーン。女将の浪花千栄子の巧いこと。作り笑いとセリフ、蝿を負う動作で、酷薄さ、先生の訪問を迷惑に思ってること、おそらくマッちゃんを酷使していることなどが伝わってくる。ろくに挨拶もできず、突っ立ってるマッちゃんが、店から大石先生が出たとたん、裏口から飛び出し、路地へ先生を追いかける。ところが、大石先生はすでに子どもたちに囲まれ(それはかつての同級生で)、路地の陰に思わず隠れる。港を出ていく船を、ここでやっと嗚咽して泣きながら歩いていくマッちゃんを追うカメラの長い横移動は、日本映画史上特筆すべきものだ。
情感と映像がみごとに寄り添い、アップを極力少なくし、人物を風景の中で捉えていく。その構成力と絵の力、凡夫の及ぶところではない。それにしても山本晋也(以下、自粛)。