団地と文学

okatake2011-01-26

昨日、国立「ロージナ」で、関さん、多摩ディランさんと「拓郎ナイト」の打ち合わせ。夜、アジア杯、韓国戦。3時間くぎづけ。最後のPK、深夜にもかかわらず、雄たけびをあげる。
午後、昨日、関さんに教わった国立のジャズ喫茶「シングス」を訪ねる。その前、谷川へ寄ったところで財布を忘れてきたことに気づく。ときどきあるんだ、こういうこと。まあ、それでも「シングス」の位置だけ確かめておこうと、大学通を行き、桐朋学園東交差点を左折したら、定休日だった。検索したときは、火曜、第一・第三の水定休とあったが、どうやら火水と定休になったらしい。まあいいや。どうせお金がないんだから、また来よう。
帰り、図書館で乱歩関係の本と」ジェフリー・ディーヴァー『ソウル・コレクター』を借りる。おれ、これ、読んでませんよね? って誰に聞いてんだ。廃棄本の棚に2008年の「群像」が4冊。ぜんぶもらってくる。こんなことでもなければ読まない文芸誌。11月号が「吉田喜重特集」で、ほかに秋山駿・原武史の「団地と文学」対談が掲載。対談、さすがにおもしろい。原武史曰く、西武沿線は療養所と大団地。団地は共産党の支持基盤になった。原が最初に覚えた人名は「野坂参三」。団地の自治会は安保闘争に触発されて結成。赤旗まつりはずっと狭山公園で開かれていた。しかし堤康次郎は徹底した反共主義者。ずっとひばりが丘団地の住人だった秋山は、自治会に加わらないと「村八分」にされたという。「真面目な人たちがいいことをやろうというときには、一体感がどんどん強まっていって怖い」と発言。原は、東急に比べ、西武には町づくりという発想がなかった。西武はスカスカ。そのおかげで西武沿線から、北條民雄はじめ、石田波郷吉行淳之介藤沢周平など良質の文学が生まれた。機能的に作られた東急沿線に文学は育たない。秋山は昔、大岡昇平から「団地は将来スラム化する」と言われ、面白くなかったが、今はその通りになっている。
などなど、注目すべき発言が続く。同じ号に西村賢太「廃疾かかえて」が掲載されているので読む。賢太、やめろよ、もういいよ、という話が続くが、読み出したらやめられない。そういえば、今日、栄「ブ」で作業服の人が店員に「西村賢太はないか」と探しに来ていた。店員は知らないようだった。「ブックオフ芸人」のネタができました。
そういえば、文春文庫「長編ミステリー傑作選」松本清張『点と線』はすごい。風間完によるカラー挿絵がたくさん入っているのだ。まったく、ほれぼれするなあ、風間完。この挿絵が入る経緯は、藤井康栄さんが解題に書いている。品切れになったら困るから10冊は欲しい。