春だったね

okatake2010-12-03

今日はなんだか暑かった。春かと思った。御茶ノ水を出たら、いきなりTシャツ姿の若い男がいて、おいおい、そりゃやりすぎだろう、と歩き出したら、ほんとにTシャツでもオッケーだ。和洋会(でよかったかな)をうろうろ。「ももぞの」は中野の桃園第二小学校後援会誌、3冊500円だった。これ、表紙が恩地孝四郎。なかにも必ず恩地が文章を寄せている。へえ、と思って買った。帳場で、「きゅうせい」さんがこれに目をとめ、恩地が表紙を20冊以上やっていること、なKに恩地が文章を書いていることを教えてくれた。「500円は安いなあ」とも。ちょっとうれしかった。その他、諸々。コミガレでも三冊。小谷正一『当らん・当り・当る・当る・当れ・当れ』が欲しかったので、ほかはちょっと無理して三冊に。小学館のまんが人物伝、村野守美マンガによる『高村光太郎・智恵子』は、村野の絵がいい。
サン毎終え、帰り、今日からの高円寺「西部」古書展へ。ここでまたごそごそ。井上陽水表紙の『年鑑ヤングフォーク ジャンボ75』を400円で。よしだたくろう「今はまだ人生を語らず」全曲集があり、そこに解説あり。原宿ペニーレインのボトル値段は、75年当時でアーリィ・タイムズ8000円、IWハーパー1万円だという。公務員初任給が約8万円の時代、いまの感覚だと2万ちょっと。高いなあ。といっても洋酒自体が高かった。バーボンは、飲み慣れない者にとって「ひまし油を喉にぶっ込むよりももっとおそろしく」という味に感じたようだ。ぼくは今ではバーボン党だが、20代は飲めなかった。
「ももぞの」の桃園二小は、中野駅の東にいまでもある。「ももぞの」をパラパラめくっていたら、30号(昭和10年)に、子供の書いた作文として生野幸吉の名がある。おそらく、ドイツ文学者の生野幸吉だろう。生野は1924年東京高円寺うまれ、とあるので、まずまちがいない。その同じページに、菊池寛の名もあるが、これは同姓同名。しかし、菊池のことを調べているとき、こういう名にでくわすのは、やはりおもしろい。桃園二小の卒業生で著名人を検索してみたが、ひっかかってこなかった。桃園二小について御存知の方、情報を乞う。ウィキペディア程度のことは、こちらでも調べています。
あ、27号に野平健一の名があった。「東北地方の凶作」について書いている。野平は太宰の担当編集者。ウィキをみると、ちゃんと中野区桃園第二小学校卒とあった。ちょっとうれしい。31号に斯波四郎の名があり、あの芥川賞作家にまちがいないだろとウィキをみたら、斯波の本名は柴田四郎だった。しかも年齢が合わない。珍しい名前だが、こういう偶然もあるのだ。