原稿と格闘

うすら寒い朝だ。
数日、原稿と格闘。「古書通信」連載第一回をなんとか書き上げ月曜に送付。タイトルは「昨日も今日も 古本さんぽ」にした。タイトルのデザインは尾崎澄子さんに依頼。それがずっと使われる。「彷書月刊」で書いていたのと同じなのだが、媒体が変わると、やっぱり緊張して、増えた枚数も身体にまだつかめていなくて、行きつ戻りつ時間がかかった。蒲田、池上、武蔵新田の温泉と古本の旅である。これは温泉ありき、のテーマなので、まず温泉の沸く銭湯をチェックして、それから周辺の古本屋を探すという作業をする。もういくつかコースができた。
「蔵書の苦しみ」(仮題)という光文社新書を書き下ろしで、ほんとうはもうとっくに書きあがっているはずが、各章の端緒しか書けておらず、また例によって、おとなしい担当編集者のMくんが、脅かさず、提案として「光文社新書メールマガジン」に連載をすすめてくれる。原稿料は安いが、ここで縛りができれば、なんとか書けそう。まず第一回を書いて送る。これは、一般の方々に読んでいただけるものですから、どうぞ始まったらアクセスしてみてください。そこでお願い。まあ、本を溜め過ぎた、蔵書の整理ができないなどの話を書いていくつもりだが、それについては、あそこにこんな話がある、あるいはこんな本がありますよ、と教えてください。それを生かして、連載中、もしくは本にするとき加筆というかたちでふくらませていきたいと思っています。『本棚がみたい』系統の本はだいたい所持しているので、気づかない評論やエッセイの一部にそういう話があると教えてくださるとありがたい。
昨晩は中島みゆきが登場した坂崎&吉田のオールナイトを聞く。中島は少女時代、鼻歌で歌謡曲をうたい、厳格な父親に怒られて止め、学校時代は寄宿舎でテレビのない生活を送り、いわゆる歌謡曲の世界にうとい。大学生のころ、アルバイトで札幌に来るフォーク歌手たちのコンサートの裏方をしていて、加川良斉藤哲夫ほか、URC(中島は「音楽舎」の、と言っていた)の音楽の影響を受ける。研ナオコに始まる歌謡曲の歌手に曲を提供するようになったのは、田辺昭知の依頼による。拓郎はバイタリス・フォークビレッジで札幌入りしたとき、会場にいた、まだアマチュア時代の中島みゆき(当時、美雪)のことを覚えている。白いミニスカートをはいていた、という。
中島のレコーディング、ボーカルは後録りをしない。バックと一緒に同録、それを何テイクか録って、いいのを選ぶ。この日は、拓郎、中島の二人にかかわるアレンジャーの瀬尾一三が来ていて、会話に参加していた。中島が名前をひらがなにしたのは、画数が多く、横線が多く、書きにくいため。サインするとぐちゃぐちゃになる。拓郎も自分の名前が、いなかくさいと思っていたようで、最初「入江剣」の芸名を考えたが却下された。それでよかったよ。入江剣&かぐや姫の「つま恋」では、なにがなにやらわからない。

久坂葉子富士正晴との講演会が茨木市であります。ハガキをいただきました。詳細は「デイリースムース」をご覧下さい。
http://sumus.exblog.jp/
富士正晴は、茨木市の郊外、安威という村に住んでいたが、地図をみると、ぼくがかつて一年間講師で教えた福井高校のすぐ近くだ。当時、まったく気づかなかったな。

阿佐ヶ谷「千章堂書店」の支店が、尾久にできたと聞き、検索したら本店を映した動画が見つかった。ちょっとごぶさたしているが、いい店なんです。
http://machi-log.jp/spot/102222