長い一日が終わって、京都へ

okatake2010-06-12

昨日、神保町をさらっと撫でて「サンデー毎日」。コミガレに、永島慎二『そのばしのぎの犯罪 1』が出ていて、どうしても欲しい、というか売ったのか、手元にないので、これを一冊抱えてウロウロするが、うーん、あとが買えない。なんとかつじつまをあわせて、三冊買って、あとで見たら『そのば』はサイン本。しかも前の所有者の昭和55年給料明細が入っていた。教育関係の仕事についている、男女どちらともとれる名前の人。手取りが12万数千円で、これは昭和55年段階でもきびしい。あるいはそんなものなのか。残業などはゼロ。
サンデーで、「岡崎さん、著者インタビュー、なにかない?」と言われたので、瀬尾幸子さんとエンテツさんの『みんなの大衆めし』を推薦したら、あっさり通る。これはぼくが取材する。
終わって、乃木坂へ移動。国立新美術で「ルーシー・リー展」を観る。入口近くで、帽子をかぶった可愛い女の子から「岡崎さん」と声をかけられる。石田千さんだった。先日の志らく会のお礼を言う。ちょうど坂崎さんと電話中らしく、換わってもらって会話する。
ルーシー・リーはウィーン、ロンドンに生きた陶芸家で、最初はリーチの影響を受けたらしいが、のちに独自のスタイルを築く。会場には趣味のいい、モダンとわびがミックスしたような器類がいっぱい。来ている女性も、みんなお洒落できれいな人が多いな。ルーシー・リーとともに、東京のきれいな女性も鑑賞する。
招待券だったので、解説の文字などすっとばして、気軽に、あっさりと見る。六本木まで、裏路地を歩いて、日比谷線で恵比寿。五反田まではすぐ。イマジカで、ついに完成した「海炭市叙景」の〇号試写が行われる。前回のラフラッシュとちがい、会場も大きく、人数も10倍ぐらい。函館からはプロデューサーの菅原さん始め、函館でお世話になったバー「杉の子」のママ(東京の大学にかつて通っていたそうだ)ほか、懐かしい人達に再会。あがた森魚さん、小林薫さんなど出演者も来ていて、にぎやか。いよいよ試写が始まる。前回は、2時間半あったので、今回はたぶん2時間ぐらいになっているのだろうと思ったら、やっぱり2時間半で、ほぼそのまま。二度目なのだが、一度目で流れが入っているだけ、より細部がよく見えて、余計に感銘を受けた。これは、ずしん、と来る傑作ですよ。まちがいなく、何らかの映画賞を受けるはず。人間を描く、風景を描く。音楽は邪魔せず、現実音を大きく確かに響かせる。最初、新年を函館山山頂で迎えた若い兄妹が、兄の方だけ、事故なのか自殺なのか、山から帰らず、その死が、まるで殉教者のように、海炭市の人々の運命を照らす。その意図がはっきり出ていた。カメラをやたらに動かさないのもいいし、カット割も正確で、監督が人物たちとどう向き合っているかが、観客に真直ぐ伝わる。説明を極力排しているので、映画を見慣れない人、文学的感性のない人が見ると、あとで、「あそこはどうなったの」と聞くかもしれないが、それでも「ずしん」と来るはずだ。
最後のエンドロールに、映画に協力した函館の人々の名前がずらずらと並ぶ。斜め前に座っていた、この映画化に映画人として尽力した菅原さん、どんなにうれしいだろうと思うと、何度目かの涙がこぼれた。最後の最後に協力者として、クレインの文さん、古書音羽館といっしょにぼくの名前が出てきてびっくり。
本当は、打ち上げのパーティがあったのだが、いい余韻だけ連れて、今日から京都で準備もしていないので帰途につく。
帰って、ビールを二杯飲んで、勝手に「海炭市叙景」完成に乾杯し、「あった、あった。」を書く。上野千鶴子「スカートの下の劇場」。
近代ナリコ市川慎子の往復読書書簡『ふたりの本棚』(憂鬱なれでも本は読むもの 読む寝る食う 晴天、曇天、爽快、憂鬱、なんのその! 春夏秋冬、日がな本読む二人の往復書簡)出版芸術社が届く。
ナリちゃんがこんなことを書いている。
「私は二十代のころはまだまだきかん坊で、市川さんのように、自分の考えかた、感じかたをいったん保留することをおぼえたのは三十過ぎてからでした。でも最近は、私はこうです! と表明すること自体に疲れているだけ。なんにでも、アーソウデスカ、という人間になっている。もうすこしわからず屋になってもいいのかもしれません」
今日から京都。叡電一箱古本市」へお越しの方で、このブログを読んでくださっている方は、ぜひ「週刊ブックレビュー」をご覧になってからどうぞ。京都でお目にかかります。