5000人のへそ曲がり

okatake2010-05-27

「デ」で、サイモン&ガーファンクルの1967年にリンカーン・センターでのライブ盤を買う。写真を見ると、舞台の後ろにまで客席を作っている。ギター1本だけで、「早く家へ帰りたい」「冬の散歩道」「サウンド・オブ・サイレンス」など初期の名曲を歌っている。曲が終わるたびに、ポール・サイモンがギターをチューニングして、おもむろに弾き始め、二人のハーモニーが絶妙に世界を作り上げる。先日の「ふちがみとふなと」のときもそう思いましたが、楽器一本によるライブは簡素だが、歌の力を感じさせる。歌ってこういうもんだな、と説得力を持つのだ。
サンデー毎日」にジェレミー・マーサー『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』書評を送付。
井上ひさし全選評』は、読んでも読んでも終わらない。おもしろいけど。メモを取る。
国書刊行会から宅急便が来て、留守だったもので、再配達を頼んだら夜に届いて、何の本だろうと思ったら、意外にも鈴木則文『トラック野郎風雲録』だった。「ふわあ」と声がもれる。こんなふうに意表をつくのは、担当は樽本氏だろう、と思ったら、やっぱりそうだった。「トラック野郎」はじめ、娯楽映画しか撮らなかった鈴木監督の回想録。夕方、ベッドにもぐりこんで、「谷川」で買った蓮實重彦山田宏一トリュフォー』を読んでいたので、その急激な落差がかえって心地よい。
今朝の「朝日」、記者有論で佐久間さんが、河出の池澤夏樹個人編集『世界文学全集』の完結と、その成功について書いていた。きりぬく。文学全集が作られなくなった時代に、「誰からも異論の出ない正統派の全集をあえて狙わず、個人の感性で面白い作品を選び、読者の信頼を得た」と言う。また、「だれもが、いま世界文学全集を出すのは難しいと思っているから、というのも成功した理由のひとつだろう。出版が面白いと思うのはこういうところだろう」と書くあたり、佐久間さんらしい見方と物言いで感心する。正当的な本好きはへそ曲がりが多く、世の順当なる流れや流行に背を向けるところがある。河出のこのシリーズには6500人の定期購読者が集まったというのに驚くが、どんな時代にも、5000人のへそ曲がりはいるものだ。「こんなの、出しても、とうてい売れないよ」と営業がケチをつける企画だって、5000人とは言わないが、2000、3000の読者は必ずいる。あとは、彼らの手にどう届かせるか、だろう。
夏葉社さんよりマラマッド『レンブラントの帽子』を送っていただきました。和田誠のイラストと装幀がいいなあ。表題作を読みましたが、かつて新潮文庫の短編集で読んだ「感じ」が蘇りました。容易には交わりがたい人間同士の気持ち、すれちがい、人生の皮肉を舌なめずりするように克明に描いていく。それはどこか滑稽なので、重たい印象を残さないのがマラマッドの「味」でしょうか。第三の新人安岡章太郎の「味」とどこか似通っているかもしれない。アメリカの古い短編を、150ページぐらいの本で読むのは、何かぜいたくな気分があります。
午後、西荻へ。改札出たところが改装されてショッピングモールになっていた。「音羽館」も改装されて、少し店が広くなった。「興居島屋」へ寄って澄ちゃんと「ふちがみとふなと」の話をして、「歌う人」が入ったCDがあれば買おうと思ったが、いま、「ふちふな」はみんな売り切れ中とのこと。「バウシアター」の招待券が、今月いっぱいの期限だから、おかざきさん、行きません、と言うのでもらって吉祥寺へ移動。ウディ・アレンの新作(タイトル、忘れちゃった)を見る。お金がどうしても必要な兄弟が、助成してもらう代わりに、伯父のトラブルを助けるために殺人を犯す。ほんとうなら、伯父がウディ・アレンで、殺人を挙行しようとするとあれこれ邪魔が入って、それがギャグになる展開かと思ったが、アレン本人は登場せず、終始シリアスなまま、陰鬱なラストとなる。ううむ、と割り切れないような気持ちで席を立つ。
彷書月刊」の巻末、月の輪書林の目録で昭和39年の東京古書組合名簿を注文したのが、今日届いた。あれ、阿佐ヶ谷にこんなに古本屋があったんだ、とか面白い、面白い。
酔っぱらってアマゾンで注文した、熊本マリが弾く「モンポウ 静かな音楽」も届いた。これは川本三郎さんのエッセイで知って、聞きたいと思ったのだ。
「ビッグ・イシュー」はちくま文庫木田元『闇屋になりそこねた哲学者』を書いて送付。